画伯の絵を飾りませんか?
はじめに
- 年も変わり、新しい企画をしようと思います。フォロワーさんの要望を聞き、フォロワーさんと力を合わせて記事を作りました。ご協力していただいたフォロワーさんについては後ほどご紹介します。
- 記念すべき第1回目はルーブル美術館です。山下美月さんの写真集の舞台となったフランスの首都・パリの定番観光スポットです。世界一の美術館と言われ、一度は聞いたことのあるモナ・リザやミロのヴィーナスが非常に有名です。教科書に出てくる作品がたくさん展示されています。美術に疎い僕でも全館回るのに6時間ほどかかりました。
- 今回の流れですがルーブル美術館の歴史、展示品について書こうと思います。展示物の一部をフォロワーさんの力をお借りしました。
ルーブル美術館の歴史
もともとは美術館ではなかった!?
- ルーブル美術館(Musée du Louvre)はパリ1区のセーヌ川のほとりに位置しています。ちなみにですが、パリは中心地(1区)から螺旋状に20区まであります。18-19区は治安が良くない地域と言われています。つまり、ルーブル美術館の位置しているところはまさしくパリの中心地です。
- 12世紀にフィリップ2世が建設し、その当時はルーブル宮殿と呼ばれていた。ルーブル美術館はもともと宮殿でした。そのこともあり、今でもPalais du Louvre(パレ・デュ・ルーブル)と言っても通じます。なので、他の美術館に比べて豪華で荘厳な建物となっています。
- 17世紀にルイ14世がパリ郊外のヴェルサイユ宮殿に移るまで実際に王宮として使用されていました。それまで王宮として使用していたこともあり、当時の王家であるブルボン家の美術品がたくさん保管されていました。ルイ14世がヴェルサイユ宮殿に移ると同時にその美術品もヴェルサイユ宮殿に移りました。一部はルーブル宮殿に残りました。しかし、ヴェルサイユ宮殿に移るまでルーブル宮殿の一部が美術館として開放されていました。さらに、宮殿内に芸術家を住まわせていました。実はこの時から美術館としての役目を果たしていました。
宮殿から美術館へ
- しかし、フランス革命でルイ16世とその妃・マリー・アントワネットが処刑されてブルボン朝は滅びます。ブルボン朝にゆかりのあるものは攻撃の対象となりました。ヴェルサイユ宮殿やルーブル宮殿も例外ではありません。革命政府がルーブル宮殿に残った美術品の略奪や破壊を危惧し、美術品の所有権をブルボン家から革命政府に移し、国有化することで事態を鎮静化しました。フランス革命を機にルーブル宮殿は正式に美術館として使用され、現在のルーブル美術館へとつながります。
守られてきた美術品・そして世界最高峰の美術館に
- フランス革命後も幾度となくパリの街は戦火に遭いましたが、ルーブル美術館に保管されている美術品は無事でした。パリ市民だけでなく、フランス国民が文化を守り、後世に伝えるために必死に守ったことが伝わります。パリの芸術家を志す人は毎日ルーブル美術館に足を運び、絵を描いて、勉強しています。先人たちの思いがしっかり現代に伝わっていますね。EU市民で25歳以下であれば、ルーブル美術館は無料で入ることができるので芸術家の卵の方たちが座り込んで絵を描いている様子を見ることができます。
ルーブル美術館の展示品
- ルーブル美術館には38万点以上の美術品が保管されています。これを全部取り上げているとそれだけで1年、2年過ぎてしまうので絵画をピックアップしたいと思います。有名な作品と言えば、モナ・リザですが、フランスとゆかりのある作品を取り上げようと思います。
- この部分は以前このブログでもご紹介した・似顔絵YouTuberのツェズゲラさんに色々と教えていただきました。
- 今回取り上げる作品は『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式(以後、ナポレオンの戴冠式)』(作者:ジャック=ルイ・ダヴィド)と『民衆を導く自由の女神』(作者:ウジェーヌ・ドラクロワ)です。どちらの作品も19世紀前半に描かれた作品です。日本では江戸時代の末期で幕末の動乱の少し前です。
『ナポレオンの戴冠式』
- この絵には歴史的にありえない瞬間を描いた絵と言われています。ナポレオンが王冠を妻のジョセフィーヌに被せようとしています。一見すると普通の絵ですが、これが表している意味は何でしょうか?実は、王冠を授けることができるのは昨年焼けてしまったノートルダム寺院のトップです、つまり宗教権力者のみが皇帝や王に授けることができるのです。ナポレオンが妻のジョセフィーヌに戴冠させようとしているのはナポレオンがフランスでの宗教的権力までも掌握したことを表現し、ナポレオンの絶対性を示す作品と言われています。ちなみにですが、ナポレオン法典は現在の民法に活かされています。日本も例外ではありません。
- ツェズゲラさんによると19世紀初頭までの絵画は宗教的要素か政治的要素のどちらかを持っていて、芸術作品としての要素は少なかったとのことです。文字ではなく、画像としての記録ということです。カメラのない時代だったのでいかに写実的に表現するかが当時の画家に求められていたそうです。
『民衆を導く自由の女神』
- ナポレオンの死後に復活した王政を転覆させる事件が起こりました(フランス7月革命)。フランス革命で樹立した共和制の復活のために市民が女神に導かれる様子を描いています。この絵画は前述の『ナポレオンの戴冠式』と異なり、写実的に描かれていません。女神は実在しない空想上の人物です。共和制を求める市民が女神に導かれ立ち上がった様子を描かれています。共和制とは選挙で国の代表を選ぶ政治システムです。18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパ全土で民主化を求め、王政を倒していました。共和制が正義で、王政は悪であることを象徴するために描かれています。芸術的要素よりも政治思想が濃く表れた作品です。
- ツェズゲラさんによるとこの時代以降、絵画に宗教的・政治的要素が抜け、芸術的要素が世間から求められるようになっていくとのことです。