坂道は上るもの

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実は奥深い日本史

 

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京都御所

 

はじめに

  • 前回の世界史に続き、日本史です。実は日本の歴史は世界の中でも文明の発展と戦争の関連性が低い国です。これは世界中で見ても異例です。そのため、世界史と日本史は同じように覚えることは難しいです。「最初にあんなにおおみきって何を言っとんねん!!!!」と思われるかもしれません、、、、すみません、、、、同じ歴史であっても日本史は別ジャンルとして取り組む必要があります。日本史の特異性がどこから来るものかを説明してきます。

 

 

本題に入る前に

  • 日本は世界でも長い歴史を誇る国です。そのため、日本史は2000年以上前のことから教わります。記録が残っていない時代については中国の文献を引っ張るしかありません。有名なのが漢書の地理志、後漢書東夷伝魏志倭人伝です。中国は歴史を残す文化があったため、日本で記録の存在していない時代を知る貴重な文献となっています。この文化は日本にも伝わり、日本初の歴史書日本書紀が誕生します。ただし、これらの歴史書はすべて、統治者目線で記されているので、統治者にとって都合の悪いことは書かれていないか、捻じ曲げられています。現代ではありえないことですが、当時はそれが当たり前でしたし、どこの国もこの道は歩みます。いまだにそれが残っている国は前近代的と言えます。

 

 

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東大寺の大仏様

 

日本史の特異性

  • 日本史も世界史同様、文明の発展に伴い戦争を行ってきましたが、他の国に比べると戦争が非常に少ないのが事実です。だからといって文明が発達していないわけでもありません。他の国同様文明は発達しています。その一つには天皇家による統治です。確かに天皇家がそこまで権力を持っていなかった弥生時代は、領土を拡大しようとムラ同士で争いが絶えませんでした。この当時だと、稲作を行う土地を広げようとして隣のムラと争いになったと言われています。しかし、天皇家が力を持つと文明の発展と戦争の関連が弱くなっていきます。天皇家の存在が日本に平和をもたらしたと言えます。日本で起こった内乱は何が原因か。その大半は天皇家国賊か、天皇家の関与しない大名や貴族同士のいざこざです。後者は文明の発展と戦争が関係していますが、前者はそこまで大きく関わっていません。つまり、天皇家の関わっている部分は文明の発展と戦争の関係が弱く、天皇家の関わっていない部分は文明の発展と戦争の関係が強いと言えます。時代で分けるならば、前者は飛鳥時代から平安時代南北朝時代、明治以降で後者は鎌倉時代室町時代、戦国時代、江戸時代です。
  • このことからも見えてくるように、日本史を非常に簡単にまとめると、構図は天皇家国賊です。それ以外の時代は世界史と同じ法則に当てはまります。天皇家側に付いている軍と天皇家に盾突く軍という構図が多いです。南北朝時代の内乱も後醍醐天皇が決起したことにより、足利尊氏国賊扱いされかねないと危惧し、光厳天皇北朝天皇として建て、室町幕府天皇に認められた政権であることを示しました。明治維新はこの構図で新政府軍が勝利したと言われています。旧幕府軍天皇家に盾突く国賊として扱われるようになり、戊辰戦争で負けてしまします。日本は世界で見ても歴史について例外が多い国だと言えます。お隣の中国は日本より歴史が長いですが、文明の発展とともに戦争を行ってきました。日本との関係で言えば、当時の中国・元による元寇がその代表例です。他の国では権力者がころころ変わり、殺されるのが当たり前でした。日本では鎌倉幕府末期に北条高時が殺されたぐらいで、他の幕府では起こりませんでした。あっても追放ぐらいでした。これは世界で見ても異例です。

 

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飛鳥寺

 

天皇家が関わっている場合

  • 平安時代の舞台は現在の京都で、京都には天皇家にゆかりのある貴族ばかりがいました。遣唐使廃止がきっかけで日本は中国文化の影響が小さくなり、日本独自の文化が発展しました。平安時代に漢字からヒントを得た平仮名や片仮名が誕生します。平仮名と片仮名の誕生で文章が読みやすくなりました。文字を3種類持つことが外国人にとって日本語を勉強するときの大きな壁と言われていますが。それまではすべて漢字で書かれていました。日本書紀はすべて漢字ですが、平安時代以降書物には仮名文字が登場します。しかし、仮名文字登場当初は漢字が「男文字」と言われ、仮名文字が「女文字」と言われていました。紀貫之の「土佐日記」に仮名文字が出ているのは筆者が男ではなく女であるという設定であり、男が仮名文字を使うとは到底考えられなかった時代です。漢と書いて「おとこ」と読むのもこの時代の名残ではないかと思います。
  • 文字の発達は文明の発達に大きく貢献をします。記録を残し、新しい技術開発に役立ちます。過去のデータから新しいものを開発し、過去にどのような方法で失敗したかを記しているとその方法を試す手間が省けます。それはすべて文字による記録が残っているからです。その理由は自国の軍事力を高めるためです。ちなみに農業も一種の軍事政策です。しかし、平安時代では軍事力強化が行われることがありませんでした。天皇家が力を持っていた時代なので、軍備増強をする必要がないと考えられたのではないでしょうか。そのこともあり、関東と四国で平将門の乱藤原純友の乱が起ったときには京都では大混乱を招きました。京都は平和であっても天皇家との関わりの弱い地域では平安時代であれ、反乱は起きました。

 

 

天皇家が関わっていない場合

  • こちらの代表例は戦国時代です。今やっている大河ドラマの時代です。ちなみに明智家は室町幕府重臣でした。「麒麟が来る」明智光秀の叔父にあたる斎藤道三がまさに文明の発展と戦争の関係を表すような人物です。この文脈での文明は個人の力やその家の勢力と思っていただけると嬉しいです。もともと美濃(現在の岐阜県南部)の油商人だったと言われています。彼は美濃を納めていた土岐家に油を売っていて、「油商人は所詮商人だから、武術を身に着けて武士にならないか」と言われ、武術の稽古に励んだと言われています。ちなみに土岐プレミアムアウトレットの土岐はこの土岐氏から来ています。
  • 武術の才能があったため、土岐家の家臣長井氏の家臣になりました。道三は武芸にさらに磨きをかけました。道三は土岐家の権力を自分のものにしたいと思うようになります。まずその足掛かりとして、主君の長井氏の当主を討ちます。そして道三は長井氏の当主となります。そして、力を蓄えた道三は土岐家か美濃を奪い、美濃の主になりました。
  • 道三は隣国・尾張の大名織田家に娘の濃を嫁がせます。濃の旦那がかの有名な織田信長です。道三との面会前は「うつけ者」と言われるような恰好をしていましたが、道三との面会になると正装でやってきたことに、道三は信長を見くびっていたが侮れないやつと思うようになりました。そして道三と信長の関係は良好でした。
  • 道三は美濃の国を武力で獲得したため、その反発は大きく、ついに現実のものになりました。その相手が息子の齋藤義龍に長良川で討たれます(長良川の戦い)。義龍は道三の長男であるにも関わらず、勘当されてしまいました。そのため、義龍は父・道三に対する憎悪心が強く、下克上で負けた長井氏や土岐家の家臣とともに道三への復讐をするために決起しました。信長も道三の加勢をしようとしましたが、義龍軍の足止めを食らい、道三を助けることができませんでした。その後、義龍が美濃の主になりますが、急死し義興が主になりますが、信長に討たれ、尾張と美濃は織田家の領土となります。岐阜という地名は信長が付けたとされています。

 

 

 

 

最後に

  • 世界史と日本史の勉強の仕方をざっくりではありますが紹介しました。どうでしたか?外国の世界遺産や観光名所のほとんどは軍事的な施設です。ヨーロッパの城壁は外敵からの侵入を防ぐためと真ん中に高い塔があるのは外敵の侵入をいち早くつかみ、市民に知らせるためでした。行ってみたい国にある観光スポットには軍事的意味や当時の権力者の意思が反映されています。フランスのヴェルサイユ宮殿ブルボン家の権力を示す宮殿であり、今でも世界で一番豪華な宮殿と言われるほどです。太陽王と呼ばれたルイ14世の権力がいかなるものかもわかります。日本の歴史的建造物は軍事的機能を持っているものもありますが、世界に比べるとその役割は小さいです。日本は島国で外敵がそう簡単にやってくることはなく、来ても日本のどこかの武士や悪党であることが大半でした。ヨーロッパのように得体のしれない軍隊がやってくることはほとんどありませんでした。そして天皇家の存在です。天皇家の力が強いと日本国内の文明の発展と戦争の関係が弱くなります。第二次世界大戦昭和天皇によって引き起こされたという言説を見ますが、旧憲法下では天皇の存在は絶対でしたが、昭和天皇は当時の首相・田中儀一を満州事変のことで叱責し、体調を崩して亡くなったことに対して、昭和天皇のお言葉が原因で亡くなったのではないかと思われ、自責の念を持たれていました。そのため、政治への口出しを控えられるようになりました。政府の判断に対して自らの意見を述べられなくなり、第二次世界大戦に突入したと言われています。このことからも天皇家が大きく関わると文明が発展しても、対外的な戦争は少なくなります。逆に天皇家が大きく関わらなくなると文明の発展と戦争の関係が強く表れます。この点は何度も言いますが、日本史特有の傾向です。日本史は日本で起こった出来事が大半です。その半数が京都や奈良で起こっています。特に京都は世界的な観光都市ですが、1300年の歴史を感じることができます。そして、お隣の奈良にも是非足を運んでください。京都と奈良を比較することで、中国文化の色の濃さなどがよくわかります。目で見ることのできる教科書言って過言ではありません。
  • 少しでも平和でいられるのは過去におびただしい血が流れ、犠牲者がいたからです。それを教訓にするのも歴史からしかできません。今を知るためにも、歴史を知らなければ何もわかりません。歴史は何もよりも素晴らしくて愚かなしくじり先生です。

 

 

 

 

 

 

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大覚寺