坂道は上るもの

乃木坂46についてメインに書いていますが、時折、勉強や旅行や法律問題についても書いています。乃木坂46のファンの行動についても統計分析を行っています。

平和とは

 オリーブの枝をくわえた鳩のイラスト

 はじめに

  • タイトルを見て、平和主義者の戯言かと思われた方もいらっしゃるかもしれません。僕は世間一般で言う平和主義者ではないと思っています。世間一般で言われる平和主義者は、意外にも差別主義者が多いことがあります。非常に簡単な例を申し上げますと、安倍政権を批判する左派系の知識人です。安倍政権の批判の一環と思い、支持者までに対しても人格否定を行ったり、弾圧しようとしたりすることが多いです。このような行動は本当の意味での平和主義者がやるようなことでしょうか?逆に、左派だけなく右派でもヘイトスピーチなどで外国人(特に在日の方々)の人権を侵害する行為も見られます。それも左派と理由が違えど、行っていることは差別主義的行動です。こういったことは止めましょう。平和の実現は非常に難しい課題です。日本はそれを実現できていると思われているかもしれませんが、部分的に見ればそうかもしれませんが、本当の意味では平和と言えるかは怪しいです。現時点の国際社会における平和とは何かについて中東での事例を基に描いていこうと思います。

 

民主化運動のその後

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チュニジアの国旗
  • アラブの春」は2010年のチュニジアで起こった民主化運動の波の総称です。「アラブの春」はこれまでの民主化運動とは異なり、Facebookを通じで運動参加が呼びかけられました。これまでの民主化運動とは異なり、インターネットによる動員に注目されるようになりました。チュニジアで起こった民主化運動をチュニジアの国花から「ジャスミン革命」と呼ばれています。余談ですが、ジャスミン茶は覚醒作用があり、眠気を誘う薬ではないようです。このジャスミン革命を知ったのは高校2年生の時でした。そのころは遠い国のことでFacebookが何かもよくわかっていませんでした。この5年後、ジャスミン革命についてチュニジア人から教えてもらうことになるとは思いもしませんでした。
  • ある日、チュニジア人の友達から前回とまた別のモスクに行こうと言われ、付いて行きました。モスクへ行く途中、バスを待っている時に時間があったので、ジャスミン革命について聞きました。彼はジャスミン革命当時、チュニジアにいたので、その当時の様子を教えてくれました。「ジャスミン革命自体は、チュニジア民主化をもたらしたから非常によかった」と言っていました。民主化運動の後はたいていの場合、政情不安に陥ることが多いですが、チュニジアは政情不安に陥ることなく、ジャスミン革命が起こる前よりも治安もよくなったようです。
  • しかし、チュニジアの隣国・リビアは「アラブの春」の影響でカダフィ大佐が殺害され、政情不安に陥り、無法地帯と化しました。政情不安に陥ると、テロリストの拠点となり、危険地帯となってしまします。イラクやシリアでISが勢力を拡大した理由も同じです。リビアを拠点にするテロリストが、隣国のチュニジアでもテロ活動をするため、国外からのテロについて警戒しなければならない状態であるとも言っていました。僕がドイツに行く少し前にチュニジアの博物館で日本人の方も巻き込まれる痛ましいテロが起こったので、彼の言葉は非常に重たかったです。実際に現地でジャスミン革命を経験した人から話を聞くと、ニュースなどで同じことを言っていても、切り取られた事実かどうかがわかります。実際に経験した人から話を聞くと重みも違います。

 

いまだに泥沼状態

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シリアの国旗
  • アラブの春」で一番泥沼化しているのが、シリアです。シリアの内戦はアメリカとロシアの代理戦争と言われるほどにまで発展し、いまだに決着がついていません。僕がドイツにいたころは体制派(アサド政権)と反体制派だけでなく、ISも加わり、三つ巴の戦いになり、混迷を極めていました。そんなときに、寮以外でもシリア人と知り合うことになります。語学学校で偶然、同じクラスになった人の中にシリア人の彼はいました。彼は僕の寮にいる友達同様、留学でドイツに来ているのかと思っていました。
  • 彼は留学生ではなく、ドイツに難民として、亡命しに来たのです。彼の話によると、彼は戦火を逃れるためにシリアを離れ、何日間、ドイツを目指して歩き続けたと言っていました。ドイツ政府に難民として住み、住居などは国から手厚い保証がなされていました。彼は「母国の家族のために、ドイツで稼がなければならない。語学学校も国(ドイツ)のお金で受講している。その分を早く取り戻し、母国にいる家族を安心させたい。」と言っていました。ドイツでも語学学校は基本的に有料で10数万円はかかります。しかし、彼らは難民でお金もなく、ドイツ語を自由に話すことができないので、ドイツで働けるだけの語学力を身に付けてもらうために国や州の援助を受けて語学学校に通っています。彼らは生活費も国や州から支出してもらっていますが、アルバイトをして、そのお金を母国に送っていました。
  • ある日、授業の休み時間に彼は非常に悲しそうな表情をしていました。こちらから聞く前に彼の口から「実は昨日、家族から連絡があって、、、叔父が爆撃に巻き込まれて亡くなったという知らせが入った」と言いました。それまで、遠かったシリアの内戦が非常に身近な出来事に感じました。それでも彼は「悲しみたいけれども、悲しんだところで返って来ないし、こういうことは今回が初めてじゃないから」と言い、内戦の悲惨さがたったその数分で伝わってきました。彼はその悲しみに負けることなく、しっかりドイツ語を学び、アルバイトをして母国のために働いています。
  • 彼は中東での戦争は宗教が原因であると言われることを非常に嫌っていました。彼が言うには「戦争とは利益のぶつかり合いであって、宗教はその建前にされていて、宗教を戦争の道具のように扱わないでほしい」と言っていました。戦争を正当化するために宗教が用いられているということを実感させられる一言でした。そんな彼ですが、普段は非常に明るくて面白い人でした。

 

パレスチナは一筋縄ではいかない

 

考えされられた平和の意味

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  • チュニジアとシリアは「アラブの春」での両方の結果を示していると思います。チュニジアでは民主化運動に成功し、政情不安に陥っていません。それに対して、シリアはいまだに決着がついていませんし、途中、ISも加わり三つ巴の抗争になっていました。このような現状を見ると、戦争の悲惨さというものをまじまじと見せつけられます。戦争をしないに越したことはありませんが、いつ何時、誰かによって巻き込まれるかわからない状況であるのも確かです。
  • 日本にいると、戦争は遠い昔のことで、今は活動家が戦争反対や9条改正反対と言って活動をしています。理想論としては、それがいいと思います。しかし、いまだに世界では戦争が起こっています。力をもって、力で制する世界です。このような状態で、武器を捨てて、真の平和は訪れるでしょうか?おそらく、丸腰になれば、攻め入るスキを相手に与えるだけになってしまうだけです。
  • 国際社会ではやはり力がものを言います。つまり、力を持ったまともな国もあれば、力はあるがまともでない国も存在するサバイバルの世界です。サバイバルをするうえで必要なものは武器です。ジャングルの中で、猛獣に襲われそうになった時に話し合いで解決しようとする人はいないはずです。おそらく、手持ちの道具で使えそうなものを猛獣退治に使うか、相手の気をそらしている間に逃げるかをするはずです。そのまま、立ちすくんで死を選ぶ人は少ないはずです。武力を持つことがいいか、悪いかを別にして、国際社会というジャングルでサバイバル生活を生き抜くためには必要なことだと思います。武器を持たずに平和を実現する理想論だけで国際社会で生きていくことができません。国際政治の世界では、国内政治のように誰かが統一する人がいません。アメリカが世界のリーダーとなっていますが、それもは事実上そうなっているだけであって、正式に決まっている物ではありません。もっと、言えば力さえあれば、トップになれます。猿山と同じ構造です。
  • ヨルダンの首都・アンマンの上空を一日数回はヨルダン軍の戦闘機が飛んでいました。戦争の多いの地域でも、もちろん戦争をしたくないと思っています。だからと言って、戦争をしないために武器を捨てるという考えは全くなく、自分たちを守るために武器があり、それを捨てることは座して死を待つ状態になってしまいます。いつ自分たちが戦争に巻き込まれるかわからない状態にいると自分たちを守るために武器を持たなければならないと思っているようです。武器のない平和な世界が実現するのが一番いいですが、その道のりは遠く、今の時点で武器を捨ててしまうと近隣の荒くれ者に丸腰になっていることを宣言し、攻め入るスキを与えてしまうことになります。目標としての武器のない世界の実現はいいですが、現状でそれをすると非常に危険だと思います。理想論だけが先行していることが多いですが、理想と現実を分けて考え、現状ではどのような対応をしないといけないかを考えることが平和への近道ではないでしょうか?理想論を実現するためのステップは飛ばしてはいけません。

 

 

最後に

  •  平和や民主化といった言葉はよく耳にすると思います。しかし、理想を掲げるがあまり、逆の結果を招いてしまうことは歴史的に見ても多々あります。理想では戦争ない世界になることが望ましいということは分かっています。しかし、今でも世界中で戦争は起こっていて、特に中東ではシリアやイエメンでは内戦がずっと続いています。悲しいことにこれからも戦争はなくならないと思います。その理由は簡単です。資源は有限、人間の欲は無限だからです。尽きることのない欲を求め、限られた資源を取り合うのです。資源という椅子を取る、いわば取りゲームのような状態です。ただ、椅子取りゲームと違うのは椅子取りゲームにはルールがありますが、国際社会では一度外れたから戻ってはいけないというルールはなく、報復などよくが起こってしまう点です。国際社会でのルールは必要ですが、違反に対する制裁は非常に弱く不完全な点が多いため、破られることは珍しくありません。このような現状で、理想論を実現することは非常に難しいです。理想と現実にはあるギャップをしっかり知る必要があり、理想論者は都合のいいような解釈をせずを、現実的な視点で物事を見る必要があると感じます。現状での平和は、現時点で必要なことをしっかり準備していることだと思います。