坂道は上るもの

乃木坂46についてメインに書いていますが、時折、勉強や旅行や法律問題についても書いています。乃木坂46のファンの行動についても統計分析を行っています。

社会人ってそんなに偉いの?

 

はじめに

  • お久しぶりです。ネタがなく、今回は社会人になってから思ったことを書いていきます。「学生はこうだ」とか「だから、社会人は偉いのだ」みたいな意味不明なマウントを取るような内容ではございません。社会人になってからの人間関係について考えるようになり、学生時代は考えもしなかったようなことを考えさせられています。社会人が偉いというのは幻想であることに触れた後に社会人になってから考えさせれた人間関係について書いていきます。

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社会人は本当に偉いのか?

  • 「学生はお金を払って教育を受けている客であって、社会人は自分でお金を稼ぐ人であって、だから社会人は偉いのだ」とよく言われますが、こんなことを言う人の大半はロクな人ではありません。確かに社会人は決められた時間働いてお金を稼ぎます。アルバイトとは異なり、自らの行動が会社に大きな影響を与える責任も伴います。責任の重さは稼ぐお金が一つの指標になります。お金を稼ぐことはその額に見合った責任を伴うことになります。前半の学生と社会人の違いはあっていますが、結論の持って行き方が非常に乱暴です。前の会社ではそれを嫌というほど聞かされましたが、そんなことをして何になるのかとずっと思っていました。社会人が偉いといった幻想が自らのおごり高ぶりを助長される最悪な考え方だと思います。「社会人は偉い」や「働いている人はかっこいい」というのは学生見た社会人像ではないかと思います。つまり、「だから、社会人は偉いのだ」は実は学生的発想であり、社会人になったことが嬉しくてマウントを取りたいだけだと思います。
  • 社会人の話す内容は難しい話が多いように思われるかもしれませんが、それは仕事の時だけで、しかも仕事の時でも長い間でそんな難しい話をしているわけではありません。ひとたび、飲みにでも行けば、大体の話題はおっさんの自慢話や下ネタです。学生時代より話の内容がひどいこともあります。仕事の自慢話や残業しまくっていた自慢は昔悪いことやっていた自慢と同じです。そんな人たちに「社会人が偉いのだ」や「これだから学生は」なんて言われても言われても説得力はありませんし、「あんたらも同じレベルだと」と思われたり、自己満足を楽しんでいる寂しい人と思われたりするでしょう。ただ、本人はかっこいいと思っています。社会人も学生も思考回路は同じで、どちらが偉くて、どちらが劣っているということはありません。学生と社会人は求められるものが違い、置かれている立場が異なるだけです。会社で教育する側の人間がそのことをきっちり理解しておかないと無駄な対立を有無だけで、いいことはありません。上に立つ人間の欲求が満たされるだけで会社にとってもそういった態度がプラスになるとは思えません。
  • 社会人になると学生時代以上にコミュニケーション能力やTPOを弁えた言動が求められるようになりますが、そういったことは学生時代から身に付けることはできますし、社会人のコミュニケーション能力やTPOを弁えた言動は学生の延長であり、別次元のものではないと思います。「社会人が偉い」という考えは本当の意味で学生や社会人、ひいては人間関係を理解していない社会人たちによって生み出された幻想ではないでしょうか。

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最近気づいたこと

  • 社会人になって4年近く経とうとするのですが、社会人と学生の立場的な違いではなく、人間関係的な違いに気付くようになりました。立場的な違いは単なる知識であって、経験から生まれる知恵のようなものではありません。そのため、新入社員研修で立場の違いを教えられ覚えておけば十分だと思います。仕事をしていく中で、おのずとそのことに気付くようになると思います。しかし、人間関係的な違いは社会人になり、少し年齢を重ねないと気づきませんでした。というか考えもしませんでした。中学、高校、大学までは友達はすぐできて、そこまで友達のことについて考えることはあまりなかったかもしれません。
  • 仲良く遊んでいたのに学校を卒業して、喧嘩をしたわけでもないのに連絡を取らなくなったということがあると思います。連絡していなかった友達に連絡をして、返してくれるのが全体の7割でそこから会ってくれるのが、4割でそこからまた連絡を取るようになるのは1-2割ぐらいだと思います。全体の3割は返事すら返ってきません。これはあくまでも僕の感覚ですので、人によって差はあると思います。なぜ、あんだけ仲が良かったのに連絡を取らなくなるのかについて、考えると環境の変化が一番大きいと思います。環境が変わると付き合う人も変わり、考え方も変わっていきます。そうなると昔遊んでいた友達と連絡を取ったり、遊んだりする時間がおのずと少なくなると思います。そうすると昔みたいに連絡を取って遊ぶということが減るはずです。
  • しかし、どんだけ環境が変わろうとも連絡を取り続け、遊ぶ友達は一定数いるはずです。この違いについて考えましたが、何か共通の話題であったり、物理的距離であったりするのではないかと思います。サッカー好きの友達がいれば、その友達とサッカーの話をしたり、試合を観に行ったりすると思います。近くに住んでいれば、遊びに誘うこともあるはずです。たまに出張や旅行で遠くに行くとその近所にいる友達を誘って遊ぶこともあり、物理的な距離が近くなると連絡もしやすくなるのかなと思います。学生時代は物理的距離が非常に近かったので、すぐに声を掛けることができましたが、それが社会人になると異動や結婚で徐々に遠くなってしまうのだと思います。学生時代のように簡単に声を掛けて遊ぶという環境ではないのだと最近、思うようになりました。社会人になると人間関係の維持が難しいことだと気づきましたし、昔と変わらず遊んでくれる人の存在は非常に重要だと気づきました。

 

あの時の言葉

  • 大学を卒業するときにゼミの先生が「俺は卒業しても連絡を取ってくれる人を尊敬している」と言っていました。その当時はその意味が分かりませんでした。連絡を取るなんて当たり前のことですし、そんなことをするだけで尊敬をされるのかと思っていました。最近になってようやくその意味が分かりました。20代後半になると結婚をしたり、子どもができたりすると、独身の僕からすると少し遊びに誘いにくくなり、徐々に連絡を取らなくなってしまいました。そんなときに遊んでくれたり、向こうから誘われたりすることが非常に嬉しいことだと思ってもいませんでした。先生が言っていた言葉の意味が少しわかったような気がしました。
  • さらに社会人になって、連絡を取りにくくなる理由が久しぶりの連絡がマルチ商法の勧誘や金銭の貸し借りの話ということが多くなり、久しぶりに連絡してへんな話を吹っ掛けられるのではないかと思われているのではないかと少し思ってしまうからです。会社を経営している親戚に大学に入る前に「大学でできる友達が人生最後の何の利害関係もなくできる友達」と言われたのが7-8年の時を経てその意味がようやく分かりました。社会人になるとお金が絡んだ関係になり、深入りすることに躊躇してしまいます。ある程度で留めておかなければ厄介なことになりそうと無意識のうちに思っているのだと思います。これは僕自身、治さなければならないところだと思っていますが、昔みたいに純粋に心を開くことがなかなかできません。社会人になると悩みたくないようなことで悩むのが非常にしんどいです。

 

社会人的発想

  • 学生の頃には考えられなかったようなトラブルが社会人には付きまとい、お金が絡んだ人間関係のように社会人はお金に常に縛られているような気がします。それを社内でも社外でも考えてしまいます。稼いでいるお金の多寡に関わらず社会人である以上、人間関係にお金が絡むことが多くなり、それを避けることはできません。お金だけがすべてではないと言いますが、そんな綺麗事だけで生きていけるほど生易しくないと思います。社内であれば、同期がいると入ったころは仲良くできても、出世競争に巻き込まれるとそれまでの関係は一気に崩れ去ります。すべてが過去のことというよりも、すべてがなかったことになるぐらい人は大きく変わります。お金と権力は人を変えてしまう力があります。
  • 社会人になるとお金の威力や企業のブランドの威力を感じます。社会人になれば、自分をいくらでもよく見せることは可能ですが、身にまとっている鎧の評価であって、その人自身の評価ではないともてはやされている時は気づきません。それがすべてなくなった時に自分を見てくれる人はいなかったと気づきます。非常に醜いと思われるかもしれませんが、これが社会人の現実なのかと思い知らされました。僕自身こういった経験はまだありませんが、没落していく人を見て、その怖さを知りました。
  • 社会人の行動原理が損得勘定に基づくようになり、こいつと会うのは意味があるであったり、あいつと会うのは時間の無駄だといったりした基準で考えるようになると思います。それ自体、社会人的な発想で会う人の人間性に着目していないのではないかと思います。限られた時間で人に会うにはある程度絞らないといけないかもしれませんが、損得勘定で動くようになってはいけないのかなと思います。前の会社でよく言われていた「だから、社会人は偉いんだ」といった考えに納得できないのは、選民思想的発想はともかく、損得勘定で動いていることすらも尊いと思っているところがどうも腑に落ちなかったのです。むしろ、そういったことを考えずに行動ができる学生のほうがうらやましいですし、素晴らしいと思います。本当にお金が絡むと汚くなっていくのだと思いました。ただ、お金は必要なものです。
  • お金に縛られないような関係は非常に尊いもので何ものにも代えがたいものではないかと思います。人間関係を学生の間にしっかり築いておく必要がある理由はこの損得勘定抜きにできるからだと思います。学生時代の人付き合いはその人の家柄や所得ではなく、その人の人間性であったり、共通点があったりすることがベースだと思います。本当に人間として簡単に認められるのは学生時代までで、社会人になるとそこにお金が絡んできます。そしてそこに損得勘定が生まれ、健全と言い難いいびつな人間関係が出来上がってしまいます。利益を求めて人間関係を築こうとする人は本当に人として認められることはないでしょうし、まとっている鎧にしか興味がないと思われ、相手にされないようになっていきます。人間関係においては損得勘定抜きで付き合いがなければ本当に寂しい人間になり、誰も相手をしてくれなくなってしまうような気がします。

 

無理したところで、、、

  • よく集まる友達の平均年収が自分の年収であると言われることがあります。価値観が似ている者は社会的地位まで似るという意味だと思います。その状況を打破すべく、新しいコミュニティーに入って、自分の価値観を変えようとする人がいます。そのコミュニティーに属すことで自分もセレブになりたいと思う人も少ないないはずです。しかし、そういった行動をして、そのコミュニティーに長くいることができるのかといった疑問が生じます。そのコミュニティーで背伸びして、いつもの友達とあって愚痴を吐いてであれば、まだましですが、いつもの友達と勝手に距離を置き突っぱねるようなことをすれば、無理しているしんどさが返ってきます。そこで自分を見失うのではないかと思います。
  • これは知り合いで実際にあった話なのですが、自分の価値観を変えようと昔仲良かった友達に連絡を取り、会うようにしていると言っていました。その行動は僕も見習わなければならないことですが、よくよく話を聞いてみると少し違うような気がしました。その友達は昔の友達に会って自分の価値観を変えたいと言っているのですが、なぜ昔仲が良かった友達と連絡を取らなかったのかについても考えていませんし、なぜ、今残っている友達はどうして残っているのかついてあまり考えていませんでした。友達を増やしたいといったことであれば、ここまで考える必要はありませんが、価値観を変えるとなればある程度の分析をしなければ、中途半端に終わってしまいます。さらに悪いことには必ず理由があり、偶然であることはあまりありません。逆にいいことは偶然が重なったということがよくあります。昔の友達と連絡を取らなくなった原因と今残っている友達がいるという結果について分析をしない限り同じことを繰り返します。その友達は昔から同じことを繰り返し、どうしてうまくいかないのだろうとよく嘆いています。傍から見ている人間は案外わかるものなのですがね。

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今の自分はこれまでの結果

  • 今の自分は良くも悪くもなろうとしてなった結果であって、運命に翻弄されたわけではないと思います。どこかでサボったツケが回っていたり、逆に努力した結果が報われたりしたと思います。つまり、今の自分はこれまでの自分の集大成であって、なるべくしてなっているのです。それを社会的に示すのが年収であって、人間的に示すのが残っている友達だと思います。自分の価値観を変えるために今いる友達を切るようなことは愚策としか言えません。友達を切らなければ変えられない価値観は大した価値観でしょうし、蜃気楼のように実在しないのかもしれません。蜃気楼が蜃気楼であると気づかずに追いかけても、蜃気楼はずっと先に見えます。それを掴もうと必死になり、蜃気楼が消えた途端にすべてを失ったことに気付きます。そして、取り返そうとし、また別の蜃気楼を追いかけるようになります。
  • 価値観を変えようとしている人は価値観を変えようとしている自分を誰かに見てほしいだけであって、本気で変える気があるかはよくわかりません。俗に言う「やるやる詐欺」です。価値観を変えるために今までの人間関係を断って、新しい人と付き合うようにするといった行為は今まで遊んだり、誘ってくれたりした友達を裏切る行為になります。トラブルがあって関係を断つようなことがあっても、一方的な理由で切るようなことをしてはいけません。切られた側もたまったもんではありませんし、また関係を修復させてくれと言われても、それに応じるはずもありません。よっぽど心が広くないとそんな要求を受け入れることはしてくれません。その要求を受け入れてくれるのは、申し出ている側に人望があるのではなく、相手の心が広いだけです。そこを見誤っているから同じようなことを繰り返すのだと思います。
  • 本当に自分の価値観を変えようとする人は進んで関係を断つようなことはせずに、今までの関係を維持しながら新しい関係を築くと思います。わざわざ今までの関係を断つ必要がありませんし、人間関係を断ってまで築く価値観は蜃気楼のように存在しないものとわかっているのではないかと思います。今までの関係を維持しつつ新しいものにアップデートしていこうするのが本当に自分の価値観を変えようとしている人だと思います。

 

最後に

  • 今でも連絡を取って遊んでくれる友達は絶対に大事にしなければならないと思います。会ってくれるという少なくとも時間を割くだけの価値があったり、会うだけの魅力があったりするのではないかと思います。さらにその根底にお金や社会的地位が絡んでいなければ、本当にその人は価値のある人と思われているのではないかと思います。特に社会人は学生のように自由に使える時間も限られ、さらに家庭を持つとその時間は大幅に限られます。その限られた時間を自分のために割いてくれるのは非常に嬉しいことですし、無下にしてはならないと思います。僕は社会人になっても、今まで通りに友達ができると思っていましたが、そんなことはなく、社会人になってからできた友達は数えるほどしかいません。社会人になってから友達作りの難しさに気づきました。今でも連絡をくれたり、会ってくれたりする人に対してはこれまで以上に大切にしなければならないと感じています。来年もそういった関係を維持できるように僕自身頑張らなければならないと思います。