坂道は上るもの

乃木坂46についてメインに書いていますが、時折、勉強や旅行や法律問題についても書いています。乃木坂46のファンの行動についても統計分析を行っています。

外国語を話せれば、何でもできる?

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はじめに

  • 前回はマルチリンガル=万能というイメージは間違っていて、単なる幻想です。外国語が話せるからすごいのではなく、その話している人がいるその場面を切り抜けたことがすごいのです。重要なことは自分の意見を述べたり、ピンチを切り抜けることであり、そのために知識や経験を積みます。単に外国語だけが話せるようになったからと言って大きな意味を持つことはありません。自分の意見を外国語で述べることができて初めて意味を成します。そして、その経験を積むことはは語学力を上げることより難しくハードです。語学力を伸ばす方がはるかに楽です。そんな今回は外国人とコミュニケーションを取る上で重要なことについて書いていきます。

 

 

重要なのは外国語を覚えることじゃない

  • 外国へ行って、外国人と話すときに相手の国のことより自分の国について聞かれることが多いです。そのときに日本のことについて答えられなければ非常に恥ずかしいです。日本では愛国心と言えば、国粋主義者とそしりを受けますが、他の国では愛国心を持つことは危険な思想を持っているというよりも、むしろ当然のことだと思われています。外国語は話せるが、自国のことについて何も知らないとなると彼らは少し冷ややかな目で見られる可能性があります。ましては、自国を毛嫌いするような発言を繰り返していれば、この人のアイデンティティーやプライドはないのかと思われ、距離を置かれるようになります。
  • 逆に外国語が拙くても、自国の知識があれば、彼らから冷遇されることはありません。外国人が日本人に求めているのは彼らの出身国についての知識より日本のことをどれだけ知っているかです。そして、日本に憧れを持つ外国人は非常に多いです。その憧れの日本人が日本のことについて知らなければ、興ざめしてしまいます。もし、憧れの人が中身のない人だったら興ざめしますよね?それと同じです。特に発展途上国から留学に来ているような人であれば、将来その国の将来を担う可能性のある人です。そんな彼らが日本人の価値観を知ってしまえば、日本ではなく別の国を参考にしたり、仲良くしたりします。詭弁の域になってしまうかもしれませんが、回りまわって日本にとってマイナスになってしまうことがあります。語学を身に付けることも重要ですが、彼らのそのイメージを壊さないためにも自国への理解を深める必要があります。

 

国語学部は語学学校ではない

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  • 中学や高校で英語が好きで外国語学部に進学されている方や文学部の外国語系の専攻されている方は多いと思います。これまでボロクソに書いてきたからここでもこれらの学部は無意味だと書くのではないかと思われたのではないでしょうか?その期待を裏切ることになります。これらの学問は外国語を理解するうえで必要です。ただ、進学する側が外国語学部へ行ったら英語が話せるようになるといった幻想は抱かないでほしいです。確かに、多くの外国語学部を持っている大学ではカリキュラムに留学が組み込まれています。
  • しかし、学部側の考えは留学で外国語を話せるようになるだけではなく、その言語の感覚やその言語圏の価値観などを学ぶことを目的としています。その手段としての英語(外国語)なのです。留学先では現地の大学生と一緒に授業を受けます。それはその言語を覚えるためではなく、その先にある言語の概念への理解するためです。単に英語(外国語)を話すのであれば、英会話スクールで十分です。大学まで行って、外国語を勉強するのは話せるようになるだけではなく、話している言語について理解を深めるためです。そこから派生して翻訳であったり、通訳であったりを外国語学部では研究するのです。日本語を英語にしたり、英語を日本語にしたりするときに日本語や英語にない概念が出てくることもあります。以前取り上げた「いただきます」もその1つです。
  • 国語学部は英語を含めた外国語が好きという気持ちだけではなく、その言語に対する探究心が求められます。その気持ちを入学当初はなくて、その気持ちがどこかで芽生えれば、有意義な進学だと思います。それが芽生えずにずっと外国語を話すことだけに固執している人は在学期間を無駄にしていると思います。大学へ進学してまで外国語を勉強するということはそれ相応の気持ちがなければなりません。それは他の学部でも同じです。大学はすぐ使えるようなスキルを身に付ける場所ではありません。そのようなスキルを身に付けるのは専門学校です。大学はあくまでも研究をする場所です。

 

最後に

  • 繰り返しになりますが、外国語は話せるに越したことはありません。外国人と接する機会は今まで以上に増えているのも事実ですし、特にビジネスにおいて日本国内だけで完結することは年々難しくなり、他国との関わりが重要になっています。その時のコミュニケーションツールとして英語は絶対に必要になります。しかし、英語(外国語)だけが話せるだけは無意味です。彼らとコミュニケーションを取る上でも、自分の意見や考えを持っていなければ存在価値はないに等しいです。冒頭の外交官やエリート商社マンは自分の意見を述べ、交渉しています。コミュニケーションを取る上で言葉は重要ですが、それ以上に自分の考えはもっと重要です。言葉は自分の持っている知識や考えを相手に伝える手段です。自分の考えは内面で、言葉は外面です。外面は簡単に取り繕えますが、内面はそう簡単に取り繕うことはできません。外国語で冗談を言い合えるようになれば、上級者と言われるのは相手を笑わすだけのネタを持ち、伝えることができるからです。外国語を流ちょうに話すことに焦点が当てられることが多いですが、この言葉の真意は相手を笑わせるだけのネタを持っていることではないかと思います。外国語ができるからと言って万能ではありません。凡人です。

外国語という幻想

 

 

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はじめに

  • みなさんは英語を話している人を見てどのように思われますか?おそらくかっこいいであったり、素敵であったりと非常にポジティブな印象を持たれていると思います。では、英語(外国語)を話せる人=万能というイメージを持っていませんか?このイメージはR18が霞んでしまうほど、この考え方はよくないものだと思っています。僕も日本語はもちろんですが、英語とドイツ語は話せますが、決して万能ではありませんし、単なる凡人です。むしろ外国語を話せるだけで万能になれるのであれば、非常に楽です。今回は外国語を話す=万能というイメージが単なる幻想であることについて書いていきます。そして、外国語を話す上で重要なことについても触れたいと思います。

 

 

英語を話せる=万能という幻想

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  • 英語を話せる人は何でもできると思われるようになったのでしょうか?それは外交官やエリート商社マンのイメージがあるからだと思います。彼らは言うまでもなく万能のエリートです。彼らは英語を話すこともできる上に優れた交渉能力を持っています。これがどこかのタイミングで合わさってしまい、英語(外国語)を話せる人=万能という幻想が生まれたのではないかと思います。さらに、日本で英語を話せる人はあまり多くなく、話せるだけで、すごいと思ってしまうのもその幻想をより強くしていると考えられます。
  • 僕の知り合いで小さい頃にその人の両親の仕事の都合で外国に住んでいた人がいます。その人は英語が非常に堪能ですが、日本に帰ってきたある日、日本語で表現できないことに気付いたと言っていました。英語での意味はわかるが、それを日本語にすることができないと言っていました。学校の授業で言っていることがよくわからなかったそうです。彼は日本に生まれ、日本人でありながら日本語がわからなかったという事実にショックを受けていました。小学校から中学校までの知識の穴埋めをし、ようやく授業で言っていることがわかるようになったとも言っていました。彼は英語で様々なことを話すためにも日本語での知識を蓄える必要があると言っていました。そして、英語を話せるだけでは何もないともよく言っています。
  • アメリカの小学生は我々より英語を話すことができますが、トランプ大統領について話してくれと言っても、思っているような答えは返って来ないでしょう。同じ質問を英語は話せないが、政治について詳しい人に質問してみてください。思った以上の答えが返ってくると思います。この違いは話せる言葉ではなく、持っている知識量です。ある話題について、母国語で話すことができないことを外国語にすることはできません。それも同じ理由でそれに対する知識や意見を母国で言うことができないからです。外国語は日本語と同じ言語であって、自分の思っていることを相手に伝えるツールであって、そのツールが今まで話すことができなかった分野の知識を与えてくれるものではありません。シンプルですが、この点が見落とされがちです。
  • 日本語以外の言語を話せるに越したことはありませんが、日本語(母国語)教育よりも優先して、外国語の取得をすべきかと言われれば、僕はそれに賛成できません。小さい頃から外国語に触れていると習得が非常に楽という理由で、子どもに英会話スクールに通われる方も多いはずです。外国語を話せることが一種のステータスになっています。僕も小さい頃通わされていましたが、そこで身に付いたことはほとんどなく、実際、英語を不自由なく話せるようになったのは大学生のころです。
  • まずは、母国語であることについて理解したり、自分の意見を言えたりするほうを優先すべきだと思います。これらのバックボーンがなければ、外国へ行っても意味がありません。外国語は話せることは重要ですが、それ以上にあることに対する理解や自分の意見を述べることができなければ、ただ、英語を話すことができるだけの人になってしまいます。大学でTOEICの勉強ばかりして900点台のスコアをたたき出しても、内定がもらえず就活で苦戦している人を見たことがあると思います。それは、英語はできるが、中身がないと判断されてしまっているからです。企業の側からすれば、今は英語ができなくても中身のある人材が欲しいわけです。英語は入社後に頑張って覚えてもらえばいいというわけです。サッカーで言うならば、リフティングは上手いが、試合や練習に必要なことがまったくできないのと同じです。

 

留学で陥る錯覚

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  • 外国語を少し話せるようになった人や大学生によくみられることですが、英語(外国語)を話せれば何でもできると思っている人が非常に多いです。大学になってから、アメリカやオーストラリアに留学へ行って、英語を話せるようになって、自分は万能であるかのように思う人がいます。これは僕の経験上、留学が3か月未満であれば、外国語を話す=万能と思う傾向が強く、3カ月以上だと外国語を話す=万能と思う人は少ないです。僕も半年間ドイツに住んでいたのですが、最初の3か月間は、外国語が日に日に喋るようになります。それは今まで日本語で持っていた知識を外国語に置き換えて話すことができるからです。つまり、今までのストックを消化している状態です。
  • それに対して3か月を過ぎるとそのストックが切れて、外国語で話せなくなってしまいます。これは若ければ若いほど、その限界は早く来ます。前述の外国に住んでいた彼も同様でした。その時に、母国語で理解できていないことや自分の意見を述べることができないことを外国語に置き換えることができないことに気付くからです。そのときに外国語習得について考えされられます。
  • 大学の夏休みを利用したような超短期留学は語学力の向上というより自分が万能のであるという感覚を伸ばすだけで、実際そこまでの成果はあまりないと言えます。超短期留学であっても、日本語を一切使わなかったり、日本人だけで集めることを控えたりして、積極的に外国語に触れようとしている人は別ですが、大半のケースは外国に1か月ほど行って終わりという人が多いです。少々荒い言い方になりますが、1か月ぐらいの留学は単なる気休めでしかありません。むしろ1カ月間、バックパッカーとして外国へ行く方が万能な人に近付けると思います。

 

最後に

  • 今回はマルチリンガル=万能という幻想を壊す内容となりました。実際、英語が話せるから何なのだという場面は数多く存在します。英語が話せることよりもその場面を切り抜ける力の方が重要です。言葉は後からいくらでも補えますが、今まで培ってきた知識や経験はそう簡単に身に付けられるものではありません。単に英語ができるからすごいというのは間違った考えで、その場面を切り抜けたときに使っていた言葉が英語だっただけです。重要なのは知識や経験です。確かに、言葉がなければ、コミュニケーションは取れませんが、関係を深めるには言葉以上に自分の考えなどは非常に重要になります。次回は外国人と話すうえで重要なことについて書いていきます。

アイドル寿命

 

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はじめに

  • 以前、アイドルの卒業年齢は大体21歳にピークを迎えていて、20歳が1つの節目として捉えられているのではないかと書きました。その中で乃木坂46の卒業年齢は24歳ぐらいで他のアイドルグループに比べると平均年齢が高いことがわかりました。その時は卒業年齢が上がっていると書きましたが、今回は別のアプローチから卒業について書いていこうと思います。他のアイドルグループと少し比較してみると、卒業年齢は異なりますが、在籍年数はそこまで大きな差は見られませんでした。今回の斉藤優里さんの個人MVであったように、女性アイドルの在籍年数という観点から今回は書いていきます。少し面白いことがわかりました。年数表示は年度表示としているため、1-3月は前年の表示となっています。年齢についても同様の扱いをしており、その時点での年齢ではなく、その年度に何歳になるという表記しています。

nogi-kioizaka.hatenablog.com

 

 

デビューは何歳?

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乃木坂46生年
  • 乃木坂46の一期生の基準時を2011年(2012年2月22日)、二期生を2014年(2015年2月22日)、三期生を2016年(2016年9月4日)、四期生を2019年(2020年2月16日)としています。基準時はそれぞれのデビューであったり、正規メンバー昇格であったりの日付であります。どの世代であっても、平均年齢・中央値ともに16-17歳でした。それに対して、前回の調査で調べたAKB48の卒業生のデビュー年齢は15歳でした。他のグループから昇格したメンバーは省いています。女性アイドルに可愛らしさを求めることからデビュー時は未成年であることが多いとうかがえます。さらにAKB48乃木坂46を比較してデビュー時は中学生か高校生であることが多く、高卒で加入しているメンバーは非常に少ないです。もっと言えば、その年齢で卒業するアイドルもいます。10代半ばでデビューするアイドルの世界で20歳手前の年齢は女性アイドルのデビューにしては遅いと言えます。スポーツの世界であっても20歳前にデビューすることは遅いということはありませんし、むしろ妥当な年齢です。アイドルであれ、スポーツであれ、遅くデビューしたからといって不利というわけではありません。そこで良さを活かすこともできます。白石さんはデビュー当時19歳でアイドルとしては遅咲きでしたが、乃木坂46だけでなく、アイドル界の絶対的な存在にまで登りつめました。ビハインドがあったとしてもそれを挽回することはいくらでもできるということを示しています。

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乃木坂46一期生生年分布

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乃木坂46二期生生年分布

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乃木坂46三期生生年分布

 

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乃木坂46四期生生年分布

 

みんなどれぐらい在籍しているのか?

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在籍期間とデビュー年齢

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乃木坂46卒業までの在籍期間
  • 在籍期間には大きな差は見られませんでしたAKB48のOGが6.8年で、乃木坂46のOGも6.7年です。このことから卒業時の平均年齢に差が見られましたが、在籍期間についてはほとんど差が見られませんでした。AKB48乃木坂46のデビュー年齢に差があることについて前節で触れました。つまり、中学生の時にデビューしているアイドルグループであれば、20歳が1つの節目になり、高校生の時にデビューしているアイドルは25歳手前で卒業をしていることがわかります。ここからは推測になりますが、小学生の時にデビューしているアイドルは20歳になる前に卒業していると考えられ、20歳前後で卒業しているアイドルは20代後半で卒業すると考えられます。
  • ここからは乃木坂46にフォーカスを当てます。乃木坂46のデビュー年齢の平均は17歳ですが、卒業のピークが21歳、24歳、26歳となっています。デビュー時の平均年齢から卒業年齢を差し引くと4年、7年、9年となります。しかし、実際の在籍年数と綺麗にリンクしませんし、在籍平均年数も6.8年となっていて、7年前後に集中しています。前述のようにデビュー年齢が大きくかかわっていると考えられ、21歳で卒業しているメンバーは加入当時中学生であったメンバーが多く、24歳で卒業しているメンバーはデビュー当時高校生であったメンバーが多いです。そして、26歳で卒業しているメンバーはデビュー当時高校を卒業していたメンバーが多いです。
  • あまり書きたくはないですが、この結果から、昨年の11月に卒業発表された堀さんに続く形で二期生の卒業ラッシュも今年あたりから始まり、三期生で卒業するメンバーも出てくるかもしれません。ここ2-3年で、一期生、二期生が築き上げた乃木坂46から三期生、四期生が作る乃木坂46に変わっていくことは間違ないでしょうし、中心メンバーは20世紀生まれから、21世紀世代になっていると考えられ、本当の意味での世代交代が起こると思われます。
  • あくまでも数字の話なので本当のところは分かりませんが、6-7年前後が女性アイドル在籍の1つの節目であると考えられます。女性アイドルの寿命はデビューから7年間であると言えます。つまり、その7年のうちにいかに推しメンを見つけて、推すかが重要になってきます。この7年という数字は売れてからではなく、デビューしてからの年数であるため、売れるまでに時間がかかると人知れず去っていくということも考えられます。そういった観点ではスポーツ選手よりも短く厳しい世界であることが伝わってきます。

 

最後に

  • 今回、乃木坂46の各世代の分布がどうなっているかを調べているとどの世代もデビュー年齢に同じであることがわかり、そこから今回の内容を書こうと思いました。卒業時の年齢だけに注目をし、最近のアイドルは大人らしさ求められているのかと思っていました。しかし、デビュー時の年齢を照らし合わせると在籍期間が延びているのではなく、デビュー時の年齢が高いことに気付きました。そして在籍期間を平均すると約7年であるため、単に活動期間がそうさせているのだと思いました。乃木坂46はこれまで今までのアイドルグループと異なると書いてきましたが、既存のアイドルと変わらないことも多いのかもしれません。コンセプトを変えるだけで印象を変えたり、一線を画すアイドルになったりすることは目を引く点です。乃木坂46がアイドルに変革をもたらすきっかけになったグループかもしれませんが、その壁はまだまだ高く、そう簡単に越えられるものでないことも今回の結果からうかがえます。これからもその壁に挑戦してほしいですね。

都市の理論、田舎の理論

 

ビルの町並み・オフィス街のイラスト 

 

はじめに

  • 昨年否決された大阪都構想のような政策を地方で行うとその自治体は衰退しかねないですが、それを都市部で行うからその力を発揮すると書きました。逆に都市部に田舎の理論を適用するとその都市は低成長もしくは衰退するとも触れました。どちらの政治が絶対的に良いというものではなく、との自治体の特性に合わせた政治がマッチしなければ意味はありません。大阪の成功例を真似して地方でそれを行うと、その自治体ではうまくいかず、むしろマイナスになってしまいます。今回は都市の理論と田舎の理論について触れながら、国政と地方政治について書いていきます。国政は地方政治の延長ではありません。そして、国が掲げる地方創生と各自治体が掲げる地方創生のニュアンスも異なります。

 

都市の理論、田舎の理論

田舎の村のイラスト

  • 都市や地方の政治に求めるものも異なります。地方政治で求めるものは生活に直結することがどのように変化するかですが、実はそれが都市と地方で異なります。今回話題になった大阪都構想大阪府や市ではなく、国や他の地方自治体に求めると大変なことになります。大阪府大阪市のような都会には都市の理論の政治が存在するのに対して、僕の生まれ故郷である滋賀県のような地方では田舎の理論の政治が存在します。
  • 都市の理論と田舎の理論の話になります。都市の理論と田舎の理論のポイントは効率化です。都市の理論の政治は効率化を重視する政治です。それに対して、田舎の理論は効率化を重視しない政治です。先日否決された大阪都構想大阪市大阪府の二重行政を解消し、効率化を図る都市の理論の政治です。そのため、病院やスポーツセンターのような公共施設の数が減らされるのです。ある地域(半径5km)に同じような公共施設(病院、学校、スポーツセンターなど)5つあったとします。5つではすべての公共施設で赤字ですが、それを3つに減らすことで3つの施設すべて黒字になるとします。その地域から2つ公共施設が減ったことによる住民への影響はさほど大きいものではありません。移動距離が少し長くなるぐらいですが、おそらく1-2km伸びるぐらいだと思われます。つまり、都市部の政治では効率化を図った政治ができます。大阪市営地下鉄やバスの民営化もその一環です。自治体の支出を減らし、さらにそれで採算が取れるから民営化したのです。都市の理論の政治は本来相容れないとされていた自治体運営に民間企業の効率化という考えが強く表れた政治です。都市部で民営化が進む理由はそこにあります。都市部の自治体運営に私企業的考えを取り入れるほうがうまくいくケースもあります。
  • それに対して、田舎の理論は都市の理論と正反対で、従来通りの自治体運営です。地方では都市の理論で政治を行うと住民の生活に支障を来すからです。都市部で効率化を図って、公共施設の数が減っても影響は大きくありませんが、地方でそれを行うと下手をすれば、その集落や地域を潰しかねないほどの問題になります。地方は都市部と異なり、行動範囲が広くなります。都市部では通勤通学を除き、半径約5km圏内の移動で生活ができますが、地方ではその2-3倍の範囲になり、半径5km圏内での移動だけで生活することは非常に難しいです。さらに病院や学校と行った公共施設も都市部と異なり、1つの地域に数か所あるということは少なく、1つの地域に1つもしくは、複数の地域に1つということがあります。僕の地元では僕たちの地域(合併前の町)に中学校が1つしかありませんでした。それがなくなれば、到底自転車で通えるような距離に別の中学校もありませんでした。都市部では学校の統廃合が起こっても通学方法を変えずに、通学時間が少し伸びるぐらいですが地方では通学方法から見直さなければなりません。

 

国政と地方政治

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  • 国政と地方政治が違うものであることはわかると思いますが、実際にどのような点で異なるのかについて考えると意外に難しいです。地方政治の延長が国政と思われるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。国政に求めるものと地方政治に求めるものは異なります。国政が地方政治の延長と思われるようになったのは、それは以前の選挙制度中選挙区制が原因だと考えられます。中選挙区制では一つの選挙区から複数に当選するシステムで、当時与党であった自民党内でも各派閥がその枠を狙って熾烈な競争をしていました。政治学では選挙制度が政治システムを作り上げると言われるほど、選挙制度は政治に大きな影響を与えます。
  • そのため、党としての政策ではなく利益誘導、すなわち地方への還元をアピール(空港建設や新幹線の新駅建設)していたからです。そのため、請願駅と呼ばれる新幹線の駅であったり、便数の少ない空港やほとんど使われていない港であったりが作られました。この名残で国政が地方政治の延長にあると思われるようになったのではないかと思います。
  • 派閥政治のネガティブな面を書いてきましたが、自民党内で競争原理が生まれ、よりよい互いに切磋琢磨していました。1993年まで自民党が政権を握っていましたが、総理大臣は様々な派閥出身であったため、疑似的な政権交代が起こっていたという見方もできます。派閥政治を政党本位の政治にするために、小選挙区比例代表並立制が誕生しました。党単位での政策を評価し投票するようになり、政治も政策について議論されるようになりました。
  • 国政は具体的なことよりも幅の広い抽象的な視点での評価が必要になります。国家に関わることは生活に直結することもありますが、基本的には間接的な関わりが多いです。例えば国防や社会保障であれば、それらの恩恵を直接的に受けることはないですが、間接的に受けることになります。国政は国としての指針を決めるため、漠然とした考えで評価する必要があります。個別具体的な観点で評価すると、木を見て森を見ずのような状態になってしまいます。木は各自治体で、森は国です。国政を見るときは少し広い視野での分析が求められます。

 

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  • それに対して、各自治体に関わることは我々の生活に直結することがあります。例えば、水道代のような公共料金は各自治体で決められています。水道代の変化は生活に直結する事項です。水道代のような公共料金だけでなく、公立学校、病院や市民センターなどの公共施設の大半は各自治体が運営しています。これらの施設がなくなれば、生活に支障を来します。自治体に対しては個別具体的な視点での評価が必要になります。自治体の今後を占うような都構想のような事柄であれば、なおのことです。地方政治は我々の生活にどのような影響を及ぼすかという視点での分析が必要になります。
  • これらのことをざっくりまとめると、国に対しては国家に関わること国防、教育、社会保障、産業政策を軸に、各自治体に対しては住みやすさに関すること住民サービスの向上、インフラ整備などを軸にして、評価してみてください。地方政治の延長で国政をみると、国と自治体の利害が対立した場合、国の方針に真っ向から反対することになります。地方政治と国政を切り離して考えると、確かに住民感情という意味では踏みにじられてしまいますが、自治体へのダメージは大きくとも国全体に関わることであれば、それはやむを得ないと解釈できます。

 

平成の大合併と地方創生

 

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  • 平成の大合併とは地方分権を進めるために自治体の広域化を図った政策です。つまり、地方創生の一端を担うはずでした。この平成の大合併で多くの市町村が合併しました。地方政治学の世界ではこの平成の大合併が失敗であったと考える学者が多いです。その理由は先ほどの都市の理論と田舎の理論にあります。平成の大合併で合併した市町村の大半は地方の市町村で、都市部の合併は大都市に吸収合併されました。本来、効率化を求めてはいけない地方で効率化を図ってしまい、合併後に住民サービスが低下した自治体が数多く存在しました。僕の地元もその例外ではありませんでした。本来、平成の大合併は都市部で行うべきであり、地方で行うと1つの大きな都市に吸収合併され、その都市の政治でその周辺の合併された自治体も動かされることになります。それにより田舎の地域は都市の理論の政治で大きなダメージを受けることになりました。大宮市と浦和市静岡市清水市の合併は平成の大合併の根幹にある都市の理論に合致しますが、地方の市町村では合併をした結果、疲弊してしまった自治体が多くなってしまいました。これは都市の理論を地方に適用してしまった例です。合併により均一化し、効率化を図ろうとした結果、効率が合併前より落ちるという結果になってしまいました。
  • 政府が掲げる地方創生と各自治体が掲げる地方創生の同じ言葉ですが、根本理念が異なります。一見、政府は都市部への一極集中の解消を目的とし、各自治体もその分散に協力するという面で一致していますが、実は都市の理論と田舎の理論の対立構造になっています。政府の掲げる地方創生は田舎の理論です。一か所に主要機能が集中していると効率は上がります。逆に分散していると効率が下がってしまいます。それは単純に物理的な距離の問題です。近ければ近い方が各機関との連携がとりやすくなりますが、遠くなればなるほど、連携をとるのが難しくなります。これではもしものときのことや日本全体の活力のことを考えて、各地方に頑張ってもらう必要があると国は考えています。国は効率を重視すれば、日本全体にとってマイナスになると考えています。
  • それに対して、各自治体が掲げる地方創生は都市の理論です。各自治体の地位を向上させ、中央政府を支えるだけの力が必要になるからです。そのためには国からの助けを小さくする必要があります。つまり、効率化が必要になるからです。自治体が力を付けるには財源はもちろんのことですが、その財源が無駄なく使う必要があります。そのために支出の見直しなどを行います。それを橋下徹さんが大阪府知事時代に行い、大阪府の支出の見直しをし、その後おおさか維新の会を立ち上げ、大阪市でも同様のことをしました。それにより大阪府大阪市の財政は健全化され、自治体として力を付けるようになりました。同じことの繰り返しにはなりますが、多少の見直しは必要ですが、これを地方で行うとその自治体は立ち行かなくなってしまいます。

 

最後に

  • 国政は地方政治のように都市の理論や田舎の理論のどちらか一方に重点を置くことはできまず、そのバランスが重要になります。地方を見捨て、都市を優遇するような政策を行えば、日本全体としてマイナスになると考えられますし、逆に都市部に田舎の理論を適用するような政策を実施するのもマイナスになってしまいます。こういった観点からも国政は地方政治の延長ではありません。政治という意味では同じですが、その内容は異なります。ある自治体でうまく行ったからそれが他の自治体や国でもうまくいくということはありません。確かに自治体であれば、似たような自治体であればその政策がうまくいくことはありますが、国ではそれが非常に難しいです。そこには、都市と地方のバランスがあります。このバランスが崩れてしまうと日本全体に大きなダメージを与えてしまいます。自治体の選挙や住民投票、そして国政選挙ではこれらの観点から投票していただけると嬉しいです。

品質とライブ

 

 

 

はじめに

  • 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
  • ISO9001やISO14001などよく見かけると思います。その規格を取得していることを売りにしている会社も存在します。それらの規格をよく見かけますが、一体どういうものか説明するとなると難しいです。品質マネジメントシステムやPDCAといった言葉が出てきますが、それが一体これらの規格とどう関係しているがよくわからないと思います。とにかく取得していれば、いいことがあるということは分かるという人も多いと思います。僕も今の仕事に就くまではよくわかりませんでした。それがどういった規格であるかなんて考えたこともありません。今回はISO9001について、乃木坂46のライブや音楽番組の例を使って、お話ししたいと思います。認証機関が行っているセミナーのように規格を解説するような内容にはできません。ざっくりとどういったものかを知ってもらえればと思います。

 

 

ISOって何?美味しいの?

地球ののイラスト

  • ISO(International Organization for standardization)はスイスのジュネーブに本部を置く、世界共通の工業規格を作成する組織です。そこで作られた規格がISO規格です。ISO規格は会社が取得しているイメージが多いですが、実は身の回りにたくさんあります。ネジの規格、線路の幅、紙のサイズ、標識などたくさんあります。ISO規格がなければ、各国で異なる規格になってしまい、日本で買った自転車をアメリカに持って行き、アメリカで自転車を修理しようとしたときに、日本とアメリカのネジの規格が違えば、わざわざ日本からネジを取り寄せなければなりません。さらに今はグローバル化が進み、外国製品が日本に入ってきたり、日本製品が外国に行ったりしているため、規格が異なれば、本国から部品を取り寄せなければならなりません。ますますISO規格の存在が重要になっています。
  • ISO規格で規格を統一化することで、各国との規格の齟齬をなくしています。日本も独自の規格でJIS規格が存在しますが、大半の規格はISO規格に準拠していますが、一部独自の規格も存在します。紙のBサイズはJIS規格です。ISO規格はAサイズです。ISO規格の部品や材料であれば、世界中どこでも使うことができます。ISOとJISはサッカーのFIFAJFAの関係と同じで、FIFAの規格に準拠しているJFA Qualityのサッカーボールをドイツで公式球として使うことはできませんが、FIFA Qualityのサッカーボールであれば、全世界の試合で公式球として使うことができます。
  • これを品質規格(ISO9001、ISO13485)や環境規格(IS14001)や事業継続(IS022301)なども同様で、この規格を取得していれば、外国企業と取引したり、外国へ輸出している企業と取引したりする際の信用になります。ISO規格を取得していると、それが1つの国際的な信用になります。

 

 

ISO9001って何?

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  • ISO9001は会社の品質マネジメントシステムについて規定した規格です。この言葉だけで理解できる人は多くないはずです。僕も最初聞いたときは、「は?」となりました。少し噛み砕くと品質を確保するための社内体制を構築し、顧客満足度を高めるための規格です。品質の確保とは、製品やサービスを安定的に供給することです。例えば、近所のパン屋さんでクロワッサンが売っているとします。いつ行っても形や大きさや味はほぼ同じだと思います。これが、行くたびに形や大きさや味が異なっていることはないはずです。いつでも同じモノやサービスを提供することが安定した品質の確保です。つまり、大きなばらつきを生まない社内体制の構築がISO9001では必要になります。それは顧客満足度を上げるためです。
  • その顧客満足度を上げるために、品質確保を目的とした社内体制の構築です。品質の確保のために行うことが文書化、権限の細分化、確認です。ISO9001では社内業務を文書化し、文書通りに業務を行うことが求められます。それは人が変わっても同じように業務を行えるようにするためです。その業務で行ったことを記録に残し、後の人が何かあった時に履歴を追えるようにしていなければなりません。権限の細分化はどの部署にどのような権限があるかを明確にし、トラブルが発生した場合の対処や責任を明確にするためです。ここを間違えると縦割りになってしまい、業務運営に支障を来してしまいます。権限を細分化することで、各部署の権限を明確にし、安定した品質が担保できる組織を作ることが、最終的に顧客満足度を上げることができます。最後の確認はどの業務においてもミスがあるかもしれないしれないので、その業務について確認をしなければなりません。テストの見直しに近いです。顧客に製品やサービスを提供する場合は確認までしなければなりません。
  • ISO9001は取得した当時の水準を維持するのではなく、常にアップデートしなければなりません。そのためにPDCAサイクルを回し続けなければいけません。Pは計画(plan)でどのようなことをするかであったり、どのような方向性で進めるかであったりを決めます。Dは実行(Do)でその計画や方針に従って行動をします。Cは確認(Check)で、計画や方針に基づいた行動が逸れていないか検証します。そしてAは改善(Action)で、検証結果をフィードバックし次に生かします。そして新しい計画や方針を設定します。常に成長し続けることで、その時代にあった品質を維持しなければなりません。こうすることで安定した品質が担保されています。

 

  • ここからISO9001を乃木坂46に当てはめていきたいと思います。ISO9001は前任者が抜けても、手順書や記録を基に行えば、後任の人が行っても同じように作業ができるとされています。乃木坂46では卒業したメンバーのポジションに別のメンバーが入り、同じようにパフォーマンスをしています。この時の手順書は振り付けや移動になり、記録はそのポジションにいたメンバーがパフォーマンスをしている姿になります。その観点から見ると、昨年の10月に卒業された中田花奈さんは完璧です。乃木坂46のパフォーマンスというサービスの品質を落とすことなく供給されています。ISO9001では誰がやっても同じようなパフォーマンスになるようにしなければなりません。中田さんは誰のポジションであっても、そつなくこなすします。

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  • 突然ですが、皆さんはライブはお好きですか?僕は大好きです。早く現地で観たいと思っていますが、配信であれ、非常に楽しいです。実はライブはISO9001の観点から見ると最悪です。先に断っておきますが、乃木坂LLCに対する批判ではありません。先ほどは中田さんのパフォーマンスは最高と言っていたのに、いきなり手のひらを返しやがったなであったり、顧客満足度は高いからと問題ないんじゃないかであったりと思われるかもしれません。これについて詳しく説明します。先ほどは抜けたメンバーの穴埋めを他のメンバーがそつなくこなすことができると説明しました。ISO9001に当てはめると、楽曲が発売された当初以上のレベルを維持しなければなりません。流れにそぐわなければ、どこかでアップデートする必要があります。音楽番組であれば、それが可能ですが、ライブではそれを実現することが難しくなります。ライブのコンセプトは一度きりといった花火に近いものがあります。
  • ライブでは楽曲が発売された当初よりレベルの高いパフォーマンスをしますが、その振り付けであったり、フォーメーションの移動であったり、演出や衣装が異なったりします。ISO9001の観点で言うと作業が標準化されていませんし、そのライブだけそのパフォーマンスでその衣装であれば、逸脱になり不良扱いになります。仮にパフォーマンスや衣装や演出などを変更する場合も、手順書に定められた手続きに従って、変更しその記録を残さなければなりません。手順書から逸れた作業をすることは逸脱になり、逸脱も記録しなければなりません。ライブではよくあるその地名を歌詞の中に入れることも逸脱になり、不良扱いになります。ISO9001は個性を消して、均質化することで安定した品質が担保できるのです。そのため、ライブの一夜限りのパフォーマンスや演出は逸脱以外の何ものでもありません。ただ、ライブではその日しか観ることができないパフォーマンスや衣装であったり、サプライズであったりを観るのが楽しい場所です。ライブの楽しさとISO9001が求めるものは正反対です。ライブでのハプニングやサプライズは付き物ですが、ISO9001はそれを認めません。すべて逸脱して処理する必要があります。

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  • ISO9001では作業をする際に個性を求めず、標準化を求めます。それに対してライブはメンバーの個性を求め、その日しか味わいことのできないものを求めます。逆にISO9001に則ったライブであれば、MVと同じパフォーマンスもしくは音楽番組用のパフォーマンスになります。フロートやステージから手を振れば逸脱になります。そんなライブを観たいとは思えませんが、これがISO9001です。標準化することで管理する側の負担が小さくなります。作業を標準化し効率化することは会社運営であれば無駄な業務が減り、健全化が図れますが、ライブではそういった標準化や効率化を求めずに独自性があり非効率的なものを求めます。
  • 乃木坂LLCがISO9001に沿った組織運営がなされていないといった批判ではありません。組織運営の中で見れば、ライブは顧客満足度を上げるためのイベントの一つです。常にいいものを提供するという意味では今回書いた内容と異なることになります。今回の焦点の当て方は非常に限定的です。広い目で見ればPDCAサイクルも回っているはずです。そうでなければ、毎回あれほど楽しいライブはできないはずです。メンバーやスタッフの方が一丸となっていることは伝わってきます。もう一度言いますが、LLCに対する批判ではありません。

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最後に

  • なぜ、今回このようなことを思いついたかと言いますと、会社でISO9001の勉強をしていて、そのときにふとライブに当てはめると面白いかもしれないと思い、今回に至ります。ISO9001の規格の規定について書いても、認証機関のセミナーに勝てるはずがありません。だったら、面白おかしく書いてやろうと思い書きました。そのため、非常にざっくりとした内容になっているかもしれません。ISO9001をじっくりやろうとするとこんな短い文章では収まりません。概要であっても真面目に内容を書くのではなく、身近なものに当てはめると親近感を持ってもらえるかなと思い書きました。会社とかでISO9001を見かけたときにそういうことかと思ってもらえれば非常に嬉しいです。

自滅の刃

 

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はじめに

  • 皆さんは様々なことについて様々な意見を持たれていると思います。政治であったり、スポーツであったり、自らの属している組織などに対して様々な意見を持っていると思います。人と集まった時にその意見をぶつけると思います。そのときに自分の意見が否定されるとあまりいい気分にはならないと思います。自分の中にあるものが傷つけられたと思ってしまうからだと思います。だからといって、その否定してきた相手の考えが納得できないからといって、こいつは俺の意見を理解できるほどの知能がないと、その相手を見下すような行動を取ることは人としておかしいと思うはずです。そんな今回は自らを「知性派」と名乗る人たちはどうしてそのように自分と反対の立場を取る人を見下すようなことをするのかについて書いていこうと思います。

 

 

自分たちの意見=知性的、反対意見=非知性的という侮蔑

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  • どんなことであっても自分なりの意見を持つことは非常に重要です。自分の意見が封じられてしまうようなことが合ってはいけません。そして、あることに対して意見が分かれるのは当然だと思います。むしろ全員同じの方が気持ち悪いです。以前、議論について取り上げたときに議論をするときは論者への攻撃をしてはいけないという話をしました。議論はお互いの一定以上の倫理観の上に成り立っています。しかし、議論をする前に自分と反対の立場を取る人は頭が悪いと見下すようなことも起こっています。これはどのような組織でも起こり、それが政治のような堅苦しい内容になれば、その傾向はより強くなります。不思議なことに自らを「知性派」と名乗る人たちにその手の人が多いです。例えば、あることに反対している集団が賛成している集団を見て、「頭が悪い」などと罵詈雑言を言ったり、レッテルを貼ったりします。これはそもそも議論が成り立ちません。議論のルールを守ろうとせずに相手に自分のルールを押し付けようとしています。サッカーの試合で「サッカーみたいな野蛮なスポーツではなく、野球のルールを適用しろ」と言っているに等しいです。なんとも身勝手な行動です。サッカーにはサッカーのルール、野球には野球のルールがあって、その種目のルールに従うのが当然のことですが、守れない大人が多いです。
  • 賛成反対の同じ土俵ではなく、反対=賢い、賛成=バカという構図で、反対派が無知蒙昧な賛成派に教育することで賢い人間になれるという構図になっています。左派にその傾向が多く見られますが、右派でも同様の傾向はあります。議論では互いに対等であるのに対して、今回のケースはすでに対等でないという構図になっています。これは自称・知性派がもたらす紛れもない選民思想です。このような態度の人たちに教えられるのはあまりいい気分がしませんし、彼らは自分たちの意見への同意を得るために手段を選ばずあの手この手でやってきます。彼らは自分と意見の異なる人間を徹底的につぶそうとします。自称・平和を愛する人は自分と意見の異なる人に暴言を吐きます。その人が愛しているのは平和ではなく、自分の意見です。もっと言えば、平和を愛している自分を愛している究極のナルシストです。ここまでくると、ヒステリックさを感じてしまいます。身体的苦痛は与えなくとも精神的苦痛を与える拷問のようなことをします。左派のメディアはそのようなことを平気で公共の電波を使って行います。「自分たちの意見は完璧でそれに反対する奴らは頭がおかしい」といった考えです。では、自称・知性派に代表されるような選民思想が生まれたのでしょうか?

 

他者への攻撃=自信のなさ

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  • 彼ら(自らは正義軍、前述の自称・知性派)はなぜそのような論理を導くのかについて書いていこうと思います。彼らは自らが弾圧されている立場であり、虐げられている人たちの存在を世間一般の人は知らない。だって、世間の人たちに我々の存在はないものとされているため、知る由がないと考えています。そんな世間一般の人たちに我々の存在を知らせなくてはならず、世間の人を啓蒙して一緒に戦おうと思っています。結論から言いますと、世間の人は彼らの存在を知っていますが、彼らに目を向けていないだけです。そして彼らの意見を見て、バカにされている気分になり、共感できないだけです。彼らが言うように誰かに虐げられているのではなく、自分たちで自分たちの首を絞めていることに世間の人は気づいていますが、本人たちはそれを頑なに認めようとはしません。
  • そして彼らの行動はエスカレートし、さらに見向きもされなくなってしまいます。彼らが支持されないのは彼らの行動が原因であって、世間の人が彼らの存在や意見を知らないわけではありません。そして、彼らは支持されないのは我々の考えが高尚過ぎて、世間の人には付いてこられないと思うようになり、自我を保とうとします。人が離れていった時点で、離れた原因が自らにあることを認めたくないがために、他に原因を作ろうとします。これは一種の防衛本能です。学校にいた、すごく上から目線の高圧的な先生は自分に自信がなく、自らの地位をキープするために生徒を踏み台にして、自分の地位を守っているのと同じです。自分を守る一番簡単な方法は相手を貶めることです。自分が何の努力をしなくとも、相手を下げれば勝手に自分が上になったと思うからです。友達の少ない人排他的組織に属している人にこの傾向が見られるのは外部との接触が少なく、独りよがりになってしまったり、周りが全員同じ考え方になったりしているので、他の意見がそこに入ることはないためです。

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  • なぜ、このようなことが起こるのかと言うと、先生の例で触れたように、その人自身の行動や考えに自信がないからです。それはコンプレックスによるものであったり、幼少期のトラウマであったりと様々で、歴史上の大虐殺を行ったスターリンヒトラーのような独裁者もこのような傾向はあったそうです。自分の地位が脅かされないように脅威となる人物や歯向かう人物を何の躊躇もなく虐殺したそうです。それは自分がいつ殺されてもおかしくないと内心で思っているからだと言われています。つまり、自分と反対の立場を取る人たちを見下す心理は自分の立場であったり、自分自身であったりに自信がないことの表れで、その感情が行き過ぎてしまうと大惨事を招きかねません。
  • 自分と反対の立場を取る人は「自分は他人より優れていると他者から思われたい」という承認欲求を満たすために相手を下げます。そして、相手を下げて自分の地位があたかもその人より上であるかのような錯覚に陥り、最終的に自分は他者より優れているという感覚に陥ります。これは違法薬物同様、常習性があり、一時的な快楽をもたらします。このループに一度ハマると簡単に抜け出すことができません。人間一度楽を覚えるとそこから抜け出すのには相当な覚悟と努力が必要だからです。それが自己完結せずに外部にその矛先が向けられたとき、何かに容赦ない攻撃を仕掛けてきます。自信のなさを隠そうとして他者を傷つけて安心感を得ることが一番楽なうえに快楽も大きいです。

 

最後に

  • 議論をするときに賛成反対の意見を持つことは重要で相手を尊重しなければならないのが鉄則ですが、明らかに間違っていると思われる意見であったり、事実と異なることを話していたりすれば、その意見を述べている本人の勉強不足であることを理由に相手に対して助言を与えることができます。相手があることについての知識がなければ、議論は成立しません。それに気づくことは相当な知識がないと気づけません。しかし、これが行き過ぎてしまった結果、「自分たちの意見は素晴らしい。それに反対する奴らは野蛮だ」と思うようになってしまうのです。これは相手の知識の欠如の指摘から自分たちを擁護するツールに無意識のうちにすり替わっています。これが画像であれば、アハ体験です。ある意見への反対も賛成もどちらにも欠点はあります。完璧なものを作ることはできません。その不完全性を理由に自分と反対の立場の人を見下すようなことをしてはいけません。どれほどの輝かしい経歴をお持ちの方でもそのような態度を示すことで、人として間違っていると思われてしまいます。自分で自分のキャリアに傷を付けることになります。相手に向けたはずの刃は相手ではなく自分の急所に突き付けられ、自滅の刃となります。自信のなさを隠すために相手に犠牲を強いるよりも、自信がないことを隠さないでいるほうが数百倍難しいです。自信がないことを認めてさらけ出すことも勇気で、それができる人はかっこいいと思います。僕もそうなりたいなー。

あれからどうなった?

 

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はじめに

  • 今回の内容は以前の過去のネタを見返している時に思いつきました。同じ内容で書くことをしていませんでしたが、過去のネタからどのように変化したかについて調べたものはありませんでした。たまには見返してみることも必要なのかなと思いました。前回は四期生が頭角を現し始めたころであったのに対して、今回は四期生も他の世代と同じぐらいの注目を集めるようになったので、その変化があったかについて調べました。今年の三期生、四期生の勢いは驚異的です。そして新四期生も加入し、さらに乃木坂46としての勢いが出るのではないかと思います。今回の調査は、当初立てていた予想が大きくはずれました。僕の見立てが甘かっただけかもしれませんが、どのような結果になった最後まで見ていただけると嬉しいです。

 

 

前回のまとめ

nogi-kioizaka.hatenablog.com

  • 前回の調査では一期生が断トツで、その次が三期生でした。そして二期生、四期生と続きました。四期生は注目を集め出した時期だったので、そこまで多くの票を獲得することはできませんでしたが、伸びしろが一番ある世代です。二期生の推しのファン層と他の世代のファン層の構造が異なることも触れました。二期生は他の世代のようにピラミッド型の構造ではなく、中間層からの支持が大きいことに触れました。そのため、他の世代とファン層に違いがあるのではないかと書きました。今回のその追加調査で、前回からどのように変化をしたのかについて書いていきたいと思います。結果については少し意外な結果になりました。今回の投票者層は前回の投票者層と少し異なっているのかもしれませんが、それにしても大きく変わっていました。

 

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前回調査結果(比率)

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前回調査結果(票数)

 

 

 

 

 

どの世代の人気が高い?

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調査結果 グラフ

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調査結果 表
  • 今回のグラフは非常に綺麗な階段状になっています。グラフからもわかるように、今回の調査でも一期生が1番でしたが、二期生と三期生が入れ替わり、さらにその差は2倍以上でした。この投票を締め切ったのは堀さんの卒業発表の数時間前で、堀さんの卒業発表の影響はありません。確かに、票数は約1.5倍の差が付いていますが、前回よりも票を多く集めています。僕の予想は四期生が頭角を現し、他の世代と張り合えるようになってきたので、四期生が票を伸ばすと思っていました。その予想が見事に裏切られる結果になりました。一期生が票を減らした要因は白石さんを始めとした一期生の卒業があるのではないかと思われます。これは一期生だけでなく、三期生や四期生も二期生に流れたと捉えることができます。他の世代から、二期生に流れる大きな要因が見当たりません。三期生や四期生も今年の活躍からすると票を伸ばす要因が多く、卒業生が多くなった一期生からファンが流れてくると考えていました。二期生も推す要因はありますが、三期生や四期生に比べると少し弱いです。

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調査結果(比率)
  • 前回の調査で二期生を支持している層が中間層以上で、その層にいる人たちは乃木坂46メンバーを一通り把握しています。ライブや握手会にも時折参加しています。そして敬虔層になるとメディアへの露出が少ないメンバーを推していたり、推しメン以外のメンバーがどのような分野で活躍しているかを知っていたりします。今回の投票者が中間層以上であった可能性が非常に高いと考えられます。今回の投票者層の大半がメディアへの露出頻度に大きく左右されるライト層であれば、注目度の高い三期生や四期生の票が大きく伸びていたはずです。自粛期間中に乃木坂46の動画を観て、ライト層から中間層以上になった人が増えて、今回の投票結果になったのではないかと考えます。
  • 今年から自粛期間中に乃木坂46にハマった人は他の年と比べて、ライト層から中間層以上になるスピードが速いとかったのではないかと考えます。2月以降から自粛ムードが出始め、今までのような楽しみ方が制限されるようになりました。楽しみも限られるようになり、乃木坂46に費やす時間(動画を観たり、曲を聴いたり)が増えたため、スピードが速くなったのではないかと考えます。乃木坂46にハマっていくと二期生の魅力に気づき、そこで二期生推しになったと考えています。これはあくまでも推測なので、因果関係がよくわからないというのが本音です。二期生が前回より大きく票を伸ばし、乃木坂46の真髄は二期生のパフォーマンスと思われた方が多かったのかもしれません。

 

 

最後に

  • ついに二期生のエースと呼ばれた堀さんも卒業されます。もう少し乃木坂に残るものだと勝手に思っていただけに衝撃は大きかったです。堀さんの卒業発表をきっかけに、堀さんの楽曲であったり、二期生の楽曲であったりを見る機会が増えるのではないかと思います。乃木坂46の魅力は選抜と思われるかもしれませんが、アンダーの方が惹きつけられるものがあります。アンダーの中心メンバーも三期生になりつつありますが、一期生が築き上げ、二期生がアンダーの存在感を高めた功績は非常に大きいです。さらにアンダーライブが始まった当初はウェイ状態からのスタートで、今でこそアンダーライブの人気も高まっていますが、根底にあるアウェイの精神はパフォーマンスを観ていて感じます。二期生全員がアンダー経験者であるため、全員がアウェイの精神を持っています。アウェイをホームにすることができることが二期生の魅力なのかもしれません。選抜もアンダーも三期生が中心になりつつありますが、その根底には一期生や二期生の功績があるのではないでしょうか?