坂道は上るもの

乃木坂46についてメインに書いていますが、時折、勉強や旅行や法律問題についても書いています。乃木坂46のファンの行動についても統計分析を行っています。

自由っていったい何?

 

 

f:id:rakudapetra:20201106202914j:plain

はじめに

  • 「みなさんは今自由ですか?」と「はい、自由です」と答える人は少ないと思います。それは仕事であったり、家事であったり、勉強であったりと様々なものに追われているため、自由が少ないと思っているかもしれません。そして、少し制限が緩和されたとはいえ、完全に元通りの生活になったわけでもありません。自由が制限されていると感じる方も少なくないはずです。我々にとっての自由とはすべてから解放されることを意味しているのでしょうか?自由とよく耳にするけれども、一体自由とは何者なのでしょうか?

 

自由とは

  • 自由とは何にも縛られないことを言います。これで今回は終わりです。とはさすがに言えません。だったら、Twitterで十分じゃないかと思われても仕方がありません。何にも縛られないことを自由と言うことぐらいは分かると怒られてしまいます。この自由という言葉はわかりやすいようで非常にわかりにくい概念です。英語のfreedomとlibertyはどちらも「自由」と訳されますが、意味が違います。freedomはもとからあったで、誰から勝ち取ったものではありません。猫の自由勝手な行動の自由はfreedomの考え方に近いです。好きな時にどこかへ行き、好きな時間に餌を食べ、好きな時間に寝るといったように誰から与えられた自由ではありません。freedomは誰からも干渉されない自由で、与えられるものではなく、保障されるものです。それに対してlibertyは誰かに与えられたもので、勝ち取った自由です。自由の女神は英語でThe Statue of Libertyと言います。イギリスから独立した記念にフランスから送られたものです。すなわち、イギリスからの独立し、自らの手で自由を獲得したので、libertyという言葉が使われています。こちらの自由は解放されるといった意味合いが強くなります。Libertyは与えられるものです。freedomは元から持っている自由で、libertyは勝ち得て与えられた自由を指します。ちなみにfreedomはドイツ語のFreiheitが由来で、libertyはフランス語のlibertéが由来の言葉と言われています。ドイツ語もフランス語も自由を表す単語のこの単語だけで、英語のような区別もありません。

 

自由は誰しもが持ち合わせるもの!?

■

  • 近代以降、人権は人である以上、保障されるのが当然とされています。人権に含まれる自由は先ほども述べたように勝ち取ったり、保障されたりするものです。自由を与えたり、保障したりする根拠は何だと思いますか?支配者が与えるものではなく、法が与えるものです。これは自由に限らず、すべての権利・義務は法によって与えられ、課せられます。
  • 実はこの部分が見落とされがちなのです。学校の授業でもこの部分が取り上げられることは少ないです。人権の説明で、「人として生きている以上与えられる権利」として説明しているため、誰に縛られていないと思ってしまうやすいです。よく権利や自由を叫ぶ人は、法によって与えられているということを飛ばしていることが多いです。人が人として生まれた以上、人権を保障するのが国家の役目で国家は憲法に従って、人権を守らなければならないのです。そのことを小学校や中学校の時点で教育する必要があると考えます。
  • 法の定める範囲を超えた自由は制限されるべきなのです。そのことを示すのが「公共の福祉」という言葉です。この言葉を最初聞いたときは意味が分かりませんでした。平たく言えば、相手に迷惑をかけないことです。権利以上にこの言葉をしっかりと教育する必要があると思います。決められた範囲を超えれば、それはアウトです。今話題の自粛警察は、この典型で、決められた範囲を逸脱した権利行使です。こういった行動は法の規定する自由ではなく、犯罪と呼ばれます。権利意識・自由意識は法によって規定されていることが大前提でその範囲を逸脱すれば、罰せられるのが当然です。

 

自由は不自由の根源?

  • この見出しを見て、「こいつは何を言っているのだ」と思われたかもしれません。社会心理学や政治思想に詳しい方はこの見出しを見て、ある本を思い浮かべたはずです。エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走(Escape from freedom)』で、自由を手にした市民がその重さに耐えきれず、自由を手放していく過程を記した本です。この本が書かれた時代は、第二次世界大戦中真っただ中で、ドイツで台頭していたナチスを支持する国民の行動を分析しています。18世紀以降、自由や権利を求めて戦い、自由や権利を手にしましたが、それらが市民にとっては重荷であり、前近代的権威主義体制を支持するようになるのです。自由を手に入れた市民は、自由に耐えきれず不自由を求めるという逆説的な結果になってしまうことをこの本で指摘しています。
  • 実はこのことは現代も起こっており、2011年から始まった「アラブの春」で、アラブ諸国民主化の波が押し寄せ、旧体制が崩壊しました。旧体制崩壊後、一旦は民主化が進みますが、その後、別の組織による独裁体制が始まることが多いです。この原因の一つに混乱に乗じて、別の組織が政権を奪ったことも考えられますが、一度民主的な選挙を行っても、別の独裁体制を国民が支持したと考えることもできます。18世紀、ヨーロッパ各地で革命が起こった後も同様のことが起こっています。フランス革命の後はナポレオンによる独裁支配が行われました。今もなお、自由を手にした我々が直面している課題で決して過去のことではありません。

 

 

最後に

  • 自由は権力から解放されることを意味していますが、その権力を求めてしまう磁石のようなものでもあります。民主主義において、人権や自由は絶対に保障されなければならないものですが、国民自ら、それを放棄する道を選ぶことが可能であることをフロムは教えてくれました。それは何も法の範囲を逸脱した自由ではなく、法の範囲で行われた権利行使です。自由であるということは自分で決めなければならないことが多いです。誰かに何かを決められている方が楽だと思うのは当然のことだと思います。現に僕もそうです。せっかく、法で保障されている自由を投げ出したくなるのは自由になれてしまっている証拠です。当たり前すぎて、その大切さに気付いていないのかもしれません。その点では空気と同じです。外出自粛で少し自由が制限されたことで自由の重みが気づいた方もいらっしゃるかもしれません。自由というものは諸刃の剣で、相手に向けば誰からも干渉されずに生きていくことができますし、自分に向けば、不自由な独裁を支持し自分の自由を制限することになります。民主主義における自由は大切なものですが、時としてどんな凶器よりも危険なものに化けてしまいます。