坂道は上るもの

乃木坂46についてメインに書いていますが、時折、勉強や旅行や法律問題についても書いています。乃木坂46のファンの行動についても統計分析を行っています。

残念ながら、うちにはカンガルーいないんですよーSind Sie Österreicher? Nein, ich bin Wiener!!ー

 

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はじめに

  • こんなご時世だからこそ、どこかに行った気分でも味わっていただければと思い書きました。
  • 名前だけを聞くと、コアラやカンガルーがいるオーストラリアと間違える人が多いのではないでしょうか。オーストリアにはカンガルーもコアラもいません。じゃあ、何があるのかと思われますが、ドナウ川シェーンブルン宮殿、ホーエンザルブルク城があり、歴史上人物で言えばモーツアルトシューベルトヨハン・シュトラウス親子がいます。あれ?オーストリアって、もしかして、あのウィーンのある国?と思われたかもしれません。名前だけ聞くと、オーストラリアとごっちゃになりそうですが、実は全く別の国です。オーストリアはヨーロッパでも人気の高い観光地です。今回はそんなオーストリアの魅力を紹介していきたいと思います。

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モーツアルト

 

 

オーストリアってどんな国?

  • オーストリアは北海道と同じぐらいの面積で、首都はウィーンです。オーストリアはドイツ語で東の帝国(Österreich)と言います。公用語はドイツ語で、ドイツはお隣の国です。歴史的には同じ国であったこともあり、言葉が同じなのです。なので、ドイツからオーストリアに行っても外国に行ったような気が全くしません。街にある国旗でオーストリアにいるのかと気づかされます。特にミュンヘンのような南ドイツの都市からオーストリアに行くと特にそれを感じます。僕も向こういるとき、ウィーンによく行っていましたが、ドイツを出たような感じは全くしませんでした。国境審査もなく、言葉も同じだと別の国に来ている感じが全くしません。
  • オーストリアは数百年におよびハプスブルク家が統治していました。16世紀から17世紀にかけてオスマン帝国の二度にわたる襲撃がありましたが、見事撃退しました。実はこの事件はオーストリアの名前と大きく関わっています。当時ウィーンはヨーロッパの東の玄関口でした。冷戦時も西側諸国でありながらも、東ヨーロッパの国々の方が近かったです。そして、オスマン帝国は現在のトルコに位置していたため、ヨーロッパへ侵攻するときは攻め落とす必要があったのがオーストリアで、オーストリアから攻略をしないとヨーロッパへの侵攻ができなかったからです。ウィーンは一度目のオスマン帝国の侵攻を受けて、オスマン帝国の襲撃に備えて、強固な城壁を築き上げました。現在その城壁は残っていませんが、城壁の跡地には大きな環状道路(Ring)と緑地帯が広がっています。おそらく幅100mほどあったのではないかと考えられます。今でもその跡を見ると城壁の大きさがわかります。二度目の侵攻はその強固な城壁になすすべを失ったオスマン帝国軍は撤退を余儀なくなれました。
  • この撤退のことを覚えていてください。詳細は後ほど説明します。マリア・テレジアが統治していた18世紀に、ハプスブルク帝国は栄華を極めました。マリア・テレジアはフランス王妃・マリー・アントワネットの母親です。ヨーロッパの王室は親戚関係であることが非常に多いです。その当時に建てられたのがシェーンブルン宮殿で、世界遺産にも登録されています。このシェーンブルン宮殿には世界最古の動物園があり、さらに日本庭園もあります。
  • 19世紀になるとヨーロッパ各地で戦争が勃発し、オーストリアも例外ではありませんでした。オーストリアの力の衰えもあり、敗戦が続きました。極めつけは、20世紀に起こった第一次世界大戦での敗北によりハプスブルク帝国は終わりを告げ、今のオーストリアになったのです。オーストリア永世中立国となっていますが、EUにも国連にも加盟しているので、スイスほどではありませんが、第一次世界大戦で痛い目を見ているので、積極的に同盟を組みことは考え難いと思います。ちなみにヨーロッパでは、第一次世界大戦の方が被害が大きかったと言われています。

 

 

オーストリアの魅力は何?

 

ザルツブルク

  • オーストリア第二の都市ですが、小さな街で一日あれば観光することができます。サウンド・オブ・ミュージックの舞台になった街でもあり、天才音楽家モーツアルトの出身地でもあります。音楽にゆかりのある街です。そして、ついこの間までリバプールに移籍した南野選手もザルツブルクにいました。ザルツブルクは街の中心部をザルツァー川が流れていて、小高い丘の上にホーエンザルブルク城があります。ザルツブルクの由来は塩の砦という意味で、ザルツ(Salz)が塩で、ブルク(Burg)が砦もしくは城です。よく似たので言葉でベルク(Berg)がありますが、これは山という意味です。よく似ていますが意味は違いますよ。ホーエンザルブルク城からの景色は非常に綺麗で、ザルツブルクの街並みを一望できます。ホーエンザルブルク城を含めた街並みも世界遺産に登録されています。ザルツブルクの数キロ先にドイツとの国境があります。歩いて国境に行くこともできます。ザルツブルクからだと首都のウィーン行くよりも、ドイツのミュンヘンに行く方が違いです。高速バスで2時間もあれば、ミュンヘンに行くことができます。

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ザルツァー川とホーエンザルブルク城


 

 

ウィーン

  • 音楽の都と言われ、世界中の音楽家はこの地で公演することに憧れを持っています。モーツアルトベートーヴェンシューベルトハイドンヨハン・シュトラウス親子など歴史に名を残した音楽家もウィーンを拠点に活動していました。ウィーンで音楽文化が根付いたのは、ハプスブルク家が頻繁に宮殿で演奏会を開催していたことに由来すると言われています。そして気に入られた音楽家は宮廷音楽人として召し抱えられ、裕福な生活をします。その名残で今でも、ほぼ毎日ウィーンの至る所で演奏会は開催されています。当日券の販売も街中でしているので、行った際にぜひ行ってみてください。音楽の街ということもあり、音楽に関するお土産もたくさんあります。環状道路にあるウィーン国立オペラ劇場は世界最高のオペラ劇場と言われ、その舞台に立つことは、オペラで世界に認めらたことを意味するほどのオペラ劇場です。

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国立オペラ劇場

 

  • 以前にも取り上げて、シェーンブルン宮殿、ホーフブルク宮殿、シュテファン大聖堂など歴史的建造物がたくさんあります。シェーンブルン宮殿ナポレオン戦争後に開催されたウィーン会議が行われた場所でもあります。そのウィーン会議は「会議は踊る、されど進まず」と何も決まらない状況を揶揄されています。そんな歴史を抱えながらも、ハプスブルク家離宮として、ウィーンを支え、今では大きな観光資源となっています。ヴェルサイユ宮殿に次ぐ宮殿ではないでしょうか。ちなみにシェーンブルン宮殿は綺麗な(schön)泉(Brunn)の宮殿という意味で、庭園に泉が数多くあります。宮殿内は有料ですが、庭園であれば無料で入ることができるので、朝早くに行くとウォーキングをしている人がたくさんいます。ウィーン市民の憩いの場となっています。この宮殿であのモーツアルトも演奏をしたと言われています。ウィーンは音楽と切り離すことはできないです。

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シェーンブルン宮殿

 

  • ウィーンの中心地は環状道路(Ring)になります。ウィーン公園からウィーン大学にかけての環状道路を散策するのが楽しいです。緑の中を路面電車が駆け抜け、綺麗な街並みをずっと見ることができます。環状道路の南側に行くと、カールス教会や国立オペラ劇場、ホーフブルク宮殿、国立博物館などが立ち並んでします。ウィーンの観光スポットが集中しています。そのあたりを歩くだけでウィーンを楽しむことができます。路面電車で散策するとその景色の移り変わりを楽しむことができます。

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環状道路と路面電車

 

  • 環状道路からシュテファン大聖堂に向かって歩いていくと中世ヨーロッパに迷い込んだような気持になります。その道中、ザッハトルテの発祥の地・ホテルザッハーがあります。国内外を問わず人気があります。ホテルザッハーはデーメルと異なり、国外であまり販売をしていないので、ウィーンに行った際はぜひとも召し上がってください。非常に甘いのでストレートティーかブラックコーヒーが合います。ウィーンはカフェ文化発祥の地と言われ、その起源がオスマン帝国の侵攻です。二度目のオスマン帝国の侵攻の時に、オスマン帝国軍が持ち歩いていたコーヒー豆を忘れて置いていったことから、コーヒーを飲む文化が生まれ、さらのカフェでコーヒーを飲むという習慣が根付いたと言われています。今でもウィーンのカフェでは日本同様、話をしたり、勉強をしたり、仕事をしている人がいます。ウィーンのカフェで作曲していた音楽家もいるというほどです。

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ウィーンのカフェ

 

 

最後に

  • これでオーストリアとオーストラリアの違いははっきりと分かったのではないでしょうか?オーストリアはヨーロッパの国です。ただ、オーストリアよりもウィーンやザルツブルクって聞く方がピンときやすいと思います。実はこれはオーストリアの文化が影響していて、今回のタイトルともつながっています。タイトルのドイツ語は「オーストリア人ですか?」「いいえ、ウィーン人です」という意味の会話です。オーストリアの人はオーストリア人と言われるのがあまり好きではありません。そのため、ウィーンやザルツブルクと出身都市で答えることが多いです。兵庫県の人が神戸出身、姫路出身と答えるのと似たような感覚です。オーストリア連邦国家ということもあり、国よりも都市に対するアイデンティティの方が強いです。ドイツでもその傾向はありますが、ドイツよりもオーストリアのほうがこの傾向は強いです。ドイツは東西分断を経験していることもあり、一つのドイツを目指していたこともあり、オーストリアのようにまではならなかったのだと思います。これまでヨーロッパの国を観てきましたが、それぞれの国がそれぞれの色を持っているのが特徴的な地域で、公用語まで同じでもだいぶ違うことがわかるはずです。ヨーロッパは隣の国に気軽に行ける地域でもあるので旅行に行かれた時には数か国、回ってみてください。その違いに気づくと思います。
  • こんな時期なので、気分だけでも行った気分を味わってもらえると嬉しいです!