坂道は上るもの

乃木坂46についてメインに書いていますが、時折、勉強や旅行や法律問題についても書いています。乃木坂46のファンの行動についても統計分析を行っています。

ちょっとしたことがきっかけ

 カンドーラを着た男性のイラスト(赤いグードラ)

はじめに

  • 今回はいつものようにある問題を取り上げてそれへの意見を書くスタイルではなく、中東にどうして興味を持ったかについて書いていきたいと思います。僕のブログを読んでくださっている方は「どうして、こいつは中東についてここまで興味があるのか?」と思われている方もいらっしゃると思います(単なる推測ですが、、、)。外国に興味がある人は多いですし、それに関する国際情勢に興味のある方も多いです。しかし、その大半はアメリカ、ヨーロッパ、東アジアが大半だと思います。中東、アフリカ、南アメリカになると一気に少なくなります。どうして、その少数派の中東に興味を持つようになったかについて書いていきたいと思います。

 

本当に偶然だった

  • 中東にハマる前からイスラム教や中東についての基礎的な知識は多少ありましたが、そこまでは詳しくありませんでした。授業でも中東に関するテーマはありましたが、全部把握できていませんでしたし、対岸の火事という印象でした。そして、中東情勢は複雑というイメージがあるようにその当時の僕も複雑で理解するのに時間がかかりました。授業でも中東に関する話題を取り上げていましたが、単位を取るためだけの勉強をしていたというのが正直なところです。しかし、こんな風に思っていた僕も考えを改めるようになります。

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  • 大学生活が終盤に差し掛かったときに僕はドイツへ留学しました。向こうでは日本人がゼロなので、ドイツの友達を作って、ドイツ語もしっかり覚えて、ドイツの文化などを学んで帰ってくる予定でした。留学する人などがよく思うごく普通なことです。ドイツでは知り合いに紹介してもらった寮に住むことになりました。実はこの寮が僕を中東好きにするきっかけを与えてくれます。ドイツに着き、その寮に住み始めたときにあることに気づきました。その寮の住人の1/4が中東系でした。ドイツに来たのに期待外れというのが最初の感想です。これでは、ドイツ語を話す相手もいないな、、、と思っていました。どうやって、ドイツ語を話す環境をどうやって作ればいいのかを考えていました。この考えは1カ月もしないうちに変わります。

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  • その寮に住み始めた当日に部屋の片づけをしていると、向かいの部屋の住人が僕の部屋に入ってきました。部屋に入ってきたのはイラン人でした。彼が僕をイランや中東の世界に引きずり込んでくれるとは、その時は想像もしていませんでした。彼に出会っていなければ、ヨーロッパの国々にしか旅行に行っていないごく普通の旅行好きになっていたでしょう。挨拶や自己紹介をして、日本人であることがわかると非常に好意的に接してくれました。そして、お土産代わりに、僕から彼に折り鶴を作って渡しました。日本以外では道具を使わずに一枚の紙から物ができることが不思議なことのようで、非常に喜ばれました。折り紙の実演はかなり食いつきがいいので、よければ試してみてください。彼とはすっかり仲良くなり、遊びに行く仲になりました。

 

誕生日会と新たな住人

  • その寮に住み始めて、半月ほど過ぎたある日、イラン人の友達に「今日、誕生日会があるからおいでよ」と言われ、僕は「参加する」と返事しました。実は誰の誕生日会かわからずに返事をしていました。この誕生日会も僕の転機になります。誕生会当日、誕生日の主役がいました。その彼とはほとんど話したこともなく、ほぼその日が初対面です。その彼に挨拶と自己紹介をすると彼はシリア出身ということがわかりました。

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  • その当時はISが勢力を拡大し、シリアやイラクはISの領土となっていました。僕がドイツに住んでいたころは、ちょうどISに日本人の方が殺害されたという悲惨な出来事が起こって間もない頃でした。情勢が情勢なだけに僕からにシリアのことを聞くのに少し気が引けました。しかし、その誕生日会でシリアや周辺諸国のことを教えてもらうことができました。その誕生日会にいたメンバーには、パレスチナ、イラン、チュニジアなどのイスラム諸国の人がいて、彼らは集まると自国や周辺諸国の事情について話すことが多く、誕生日会も例外ではありませんでした。その当時、猛威を振るっていたISについても話していました。ニュースなどでの報道と同じ内容であっても、重みは全く違いました。中東情勢を進んで知ろうと思うようになったのは、シリア人の友達の誕生日会でした。
  • その誕生会も無事終わり、シリア人の友達だけでなく、参加していた他のメンバーとも打ち解けたある日、新しい住人が来るという連絡がありました。僕の部屋は2人部屋だったので、僕の部屋に来ることが決まりました。そして新しい住人が僕の部屋に来ました。彼もパレスチナ出身でした。ドイツに来て1か月もしないうちに、次から次へと中東諸国の人と知り合うことになりました。僕の部屋に彼の友達である他のパレスチナ人が部屋を出入りするようになり、ますます僕は中東の世界に引きずり込まれています。

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慣れないイスラム教徒との生活

  • パレスチナ人の彼が引っ越してきて約1カ月。イスラム教徒の儀式が始まりました。断食月、いわゆるラマダです。イスラム教徒にとってラマダンは苦行ではなく、喜ばしいことなので、英語では”Happy Ramadan”と言い、祝福します。同居人がパレスチナ人でラマダンの期間を同じ部屋で過ごすなんて、ドイツに来る前は考えもしませんでした。ラマダン月を一緒に過ごし、寮に住んでいるイスラム教徒もラマダンをしているので、こんな機会はないと思い、ラマダンの様子をしっかりノートなどに記録していました。後でわかったのですが、極力写真を撮らないようにしていましたが、別に撮っても問題なかったようです。日中は彼らの前で飲食をするのは控えましたし、水分を取るときでも部屋に彼らがいるときは部屋の外で飲んでいました。ラマダンも立派な宗教儀式であるため、彼らにこちらに対する配慮を求めるのではなく、こちら側が相手に配慮しなければならないと思いました。
  • イスラム教徒がアルコールや豚肉を口にしてはいけないということは知識としてありましたが、実際どの範囲まで許容されるのかといったところがわかりませんでした。アルコールや豚肉は食品に含まれていたり、以前使った食器類に豚肉を乗せたりしただけもアウトで、妥協などは一切存在しませんでした。彼らはお菓子にもお酒が入っていないかをチェックしますし、BBQをした時も豚肉を焼くときは、直接網において焼くのではなく、アルミホイルなどを敷いてその上で焼いて、使ったら捨ててほしいと言っていました。これには従うしかありません。彼らとの生活を通して知識としてのイスラム教が、経験としてのイスラム教に変わりました。彼らの行動が潔癖症の人の行動であれば、多少の妥協を求めることができますが、宗教教義に基づく行動であれば、こちらから相手に妥協を求めるのではなく、こちら側が相手に寄り添うことが重要です。そうしなければ、彼らの宗教を否定してしまうことになってしまいます。異文化交流で一番重要なことは、英語などの言語によるコミュニケーションではなく、他の宗教への理解だとこのとき痛感しました。イスラム教徒との生活をともにしたことで、旅行先の宗教事情についてしっかり調べるようになりました。日本の常識が外国では非常識ということはよくあります。

 

最後に

  • 元々、興味がないことでもふとしたきっかけで何かにハマることはよくあります。僕も中東だけでなく、サッカー、乃木坂46、最近ではプロレスと本当にハマったきっかけは偶然です。でも、その偶然に出会うためには何か行動していることが重要です。チャンスは待っていて巡ってくるものではありません。何か行動を起こした結果、そのチャンスが巡ってくるのです。サッカーの場合は、周りにサッカーの好きな友達が多かったことがきっかけですし、乃木坂46にハマったのも付けたテレビに乃木坂46が出ていたことですし、プロレスにハマったのも昔持っていたアメトーークを見直したことがきっかけでした。行動と言えば、大それたことをしないといけないと思いますが、どんな小さなことで新しい発見はその中に何かのきっかけがあります。偶然のチャンスは、自分の行動の結果に対する必然の結果だと思っています。どんな小さなことで行動をするとその中に眠っている何かが目覚めるかもしれません。